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神は信じる者だけを救う、そんなケチなもの>ではありません。
他の神はともかく、聖書の神はそのようには述べていません。
「御子を信じる者はさばかれない。<信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。>」(ヨハネ3・18)
「すでに」さばかれているのです。
すでにさばかれている、というのはどういうことでしょうか。それは次のように言われています。
「そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行いが悪かったからである。悪いことをする者は光を憎み、光のほうに来ない。」(同19−20)
つまり、光があるのにも関わらず、その光に来ることを拒む、これがすでに「さばかれている」ことなのです。「さばかれている人々」は、自分の行いと思いの秘密をひたすら隠そうとする。明らかにされるのが怖いからです。
しかし、「さばかれていない人」は、喜んで光のほうに来ます。
「しかし、真理を行なう者は、光のほうに来る。その行いが神にあってなされたことが明らかになるためである。」(同21)
「さばかれていない人」にとって、神は怖い存在でも何でもない。もし自分に非があれば、正直に神に謝る。そして、赦していただく。しかし、素直になれない人は、神に謝りたくないので、神から身を避けようとする。だから、彼らは逃げる。
こういう逃げを行う人は、すでに「神によってさばかれている」ので、回復の見込みはありません。
>信じない者をも、救うのです。
残念ながら、神は、自分の罪を隠そうとする者を救うことはしません。それを明らかにして、謝り、赦していただく素直な人だけを救います。
「だれでも、幼子のように神の国を受け入れる者にならなければ、そこに入ることはできない。」(マルコ10・15)