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絶対者の側に立つか



 絶対者とは、主権者でもなければなりません。

 そうでなければ、絶対ではなくなります。絶対という性質の中に、主権者であることも含められているのです。

 絶対者は、主権を追求します。なぜならば、それが絶対者としてふさわしいことだからです。

 それでは、現在、多くの人々が、神を否定しているのはどうしてなのでしょうか。

 それは、絶対者が、一時的に猶予期間を与えているからなのです。

 人間は裁判所に向かう途中の、二人に似ているとイエスは言います。

 「あなたを告訴する者とは、あなたが彼といっしょに途中にある間に早く仲良くなりなさい。そうでないと、告訴する者は、あなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡して、あなたはついに牢に入れられることになります。」(マタイ7・25)

 人間が裁かれることはすでに決定された運命です。

 最終的に、法を制定された方は、法にしたがって人間を裁きます。

 したがって、裁判がまだ始まっていない今、人間は悔い改める機会が与えられているのです。

 最終的に、主権は神がとることになりますが、その時、神の主権を認めなかったすべての人は、永遠の裁きの中に閉じこめられます。

 つまり、宇宙は、神の創造によるので、宇宙の内部で起こるいかなることであっても、神に逆らって行われることはすべて、最終的に裁かれるのであり、それが、裁かれないままに残るわけではありません。

 もし、神の御心ではないものが、永遠に裁きをつけられずに残るということになれば、この宇宙には主権者が複数いるということになります。

 つまり、この宇宙は多神教の宇宙だ、ということになるのです。

 しかし、聖書は、そのようには述べていません。

 「聞け、イスラエル。私たちの神であるヤーウェは、ひとりの主である。」(マルコ12・29)

 「神はおひとりである。」(ヤコブ2・19)

 この宇宙にはひとりの神がおられ、その神が最終的にあらゆる事柄において主権を取られるのです。

 この主権者に逆らう人は、永遠の地獄において苦しみを受け、従う人は永遠の祝福を受けるのです。




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