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教会の寄席化



 堕落した時代の特徴の一つとして、「教会の寄席化」を挙げることができます。

 寄席とは、笑い、楽しむために行く場所です。ですから、面白くない話や、話芸において劣っている噺家の話を聞くためにわざわざ足を運ぶ必要はありません。つまらなければ止めればいいのです。

 今日の「勘違いクリスチャン」は、教会に同じことを期待します。

 彼らは、真理を聞きたいために集まるのではありません。自分の心を軽くして、自分のわがままを認めてくれるような「神」を探しに行くのです。

 すべての偶像崇拝者に共通するのは、「自分の好み」の優先です。

 偶像を作るときに、自分にとって好ましくないものを作る人はいません。

 偶像を作る際に、偶像職人にとって重要なのは、必ずお客の願望を反映するものに形作ることです。

 今日のアイドルもそうです。アイドルとは、自分の好ましい姿でなければならないのです。自分の思ったとおりに行動してくれなくては困る。そうでなければ、ファンはアイドルを捨てます。

 ある尾崎豊ファンがこのような話をしてくれました。尾崎豊がステージの高い所(10mくらい)に上った時に、観客は「飛び降りろ」とコールしました。そして彼はそこから飛び降りたのです。その時、彼は、「尾崎はファンに殺されるな。」と思った、ということです。

 もしアイドル歌手が徹底してアイドルに成りきろうとすると、ファンに殺されます。それは、精神的に殺されるだけではなくて、時には、本当にいのちを取られることもあるのです。

 今日の教会成長学も、消費者の都合に合わせる商業主義からヒントを得ていますので、同じような偶像を作る危険性があるのです。

 牧師は、信者の好みに合わせてメッセージをソフトにします。ある有名な牧師は、『罪』という言葉は、聞き手にとって不快感を与えるので、『弱さ』に変えてしまいました。

 教会に何人が礼拝に訪れるか、が牧師の実力であると考えられるようになり、多くの牧師が、礼拝出席者獲得のために血眼になっています。

 パウロは、テモテに向かってこのように言いました。

「というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。」(2テモテ4・3−4)

 そして、彼にこのようにアドバイスします。

「しかし、あなたは、どのようなばあいにも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。」(5)

 健全な教えに耳を貸そうとせず、「空想話」を求めるアイドル全盛の堕落した時代に、クリスチャンに求められているのは、「困難に耐え、自分の務めを十分に果たすこと」だけです。

 けっして、「彼らの好みに合わせて、メッセージを水で薄めよ」と言われていません。

 クリスチャンは、教会を寄席化しようとする「勘違いクリスチャン」に注意しなければなりません。それは、クリスチャンではなく、サタンの弟子なのです。






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