同性愛が処罰の対象になるかどうかは、聖書を見る以外には判断のしようがない。
自然を規範にする自然主義者たちは、動物の性行動が基準であると考える。
だから、動物が行うように同性愛や、近親相姦、異種間交雑、子殺しを正当とみなすのである。
規準をどこに置くかによって、その人がどの宗教を信じているかがわかる。
自然主義者は、クリスチャンではない。
聖書は、「自然はアダムとともに堕落しており、規準にならない」と言う。
では、何が規準か、そして、その規準を決定する者はいったいだれか。
ヒューマニストは、人間こそ万物の尺度であると考える。自分には自分の行動の規範を作る権利があると主張する。だから、聖書の神がなんと言おうと、無視するのである。
彼らにとって神は邪魔者である。神は、自分達の楽しい生活をぶちこわす「いやな奴」であり、その救いは「余計なお世話」である。
だから、彼らは「故意に」神に逆らう者なのである。こういった確信犯には付ける薬はない。
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せっかく同性愛にふけって楽しい生活を送っていたのに、「同性愛者は処罰の対象である。」と言われればムカツクのも無理はない。
しかしだ。
もし、聖書の神が真に存在して、万人を裁く権威があるということが正しければどうだろう。彼は、絶対に永遠の刑罰を受ける、ゲヘナにおいて永遠の苦しみを受ける以外にはないのである。
「そのとき主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に報復されます。そのような人々は、主の御顔の前とその御力の栄光から退けられて、永遠の滅びの刑罰を受けるのです。」(第2テサロニケ1・8)
「あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。・・・男娼となる者、男色をする者・・・はみな、神の国を相続することができません。」(第1コリント6・9)
ホモは倫理的破産者であり、神の法を破る者である。それゆえに、彼は、処罰の対象となるのである。
(ただし、誤解してはならない。人間は、だれでもきわめて弱い存在である。もし、神の抑制の恵みがなければわれわれはみな、ホモにでも、獣姦者にでもなる者である。それゆえ、われわれはだれも同性愛者や姦淫者を嘲笑することはできない。嘲笑する者は、すぐに嘲笑される側に回される。「裁くな。裁かれないために。」)