ランダムは秩序を生み出さない
>コンピュータグラフィックス(CG)と生物をいっしょにするのはおかしいのではないですか。
>生物には「生死」があるが、CGにはそういった「ふるい」はない。
そもそも、進化論は、無生物から生物への進化を前提としているわけだから、生物に特徴的な「生死」を問題にすることは進化論者にはできないはずだ。
生物体としての「生死」がないのはCGもコアセルベートも同じだ。
原始の地球において大海の中で前生命物質が誕生し、それが生命になる過程において、非生命の状態は長く続いたはずだ。
じゃあ、その期間において、非生命であるCGとその「前生命物質」との間において状況はどういうふうにチガウのか。
どちらも「生死」なんて関係ないじゃないか?
CGにおいてランダムな変化が有意を生み出さないのと同じ理屈が、どうしてその「前生命物質」には通用しないのか。
進化論者は、すぐ「生命と非生命を一緒に論じるな」とかいう姑息な逃げ口上を使うが、進化論の出発点は「非生命」であることを意図的に忘れているのだ。
ランダムがどうやって有意や秩序を生み出すだろう。
外部から相当な負のエントロピーを加えない限り、秩序は「不可逆的に」無秩序に向かうという定則をどうやって乗り越えることができるのか。
低秩序の「前生命物質」を高秩序の「生命」にまで押し上げたものは一体なんだったのか。その負のエントロピーは具体的に何だったのか。
まさか「無作為です」なんて答えないでくれ。
無作為が有意を生み出したというのは、デタラメに画像データを改変する内に立派な富士山が画像に加わったと同じくらいアリエナイことなのだから。
それとも、コアセルベートの中でも優れた「形質」を持つものが淘汰されて生き残ったとでも?
まだ生命が一つもない時代なのだ。天敵も何もない世界において一体何が淘汰したのか。
原始地球の環境のある要素が、淘汰した?
ほ〜っ! そいつは相当、生命を生み出したがる要素なんだね。
あたかも人格を持っているかのようだ。
だがね。現実はまったく逆だ。
非人格には、非生物を生物にまで押し上げるだけの負のエントロピーはない。
もしあったら、今でも泥の中から生命が誕生する可能性はあるということになる。
そうなら、パスツールの成果はどうなるのか。