i・MODE→  

進化論と社会倫理





(Q)「進化論を信じると、劣等者を抹殺してもよいということになる。」という意見に賛同できません。遺伝子を共有する確率の高い生命(つまり隣人)を大切にすることは、自分の生存や人類の生存に貢献することになるということは、進化論によって結論することができます。

(A)揚げ足を取るようですが、
ということは、自分自身の生存利益になるかどうかが、他者を生かすか殺すかの判断基準になるわけでしょうか。

しかし、他者をいたわったり、他者の生存を保証したり許容することの基準が、人間という遺伝子共有確率が高い者全体の生存に寄与するかどうかということにあるとすると、様々な問題が出てくるように思われます。

例えば、自分の利益にもなり、また、相手に不快感を与えず、しかも、人類の生物的発展に寄与する、みさかいのない性交渉について、ノーと言うことができません。自分の娘が、みさかいなく誰かれとなくセックスすることを諌めることができません。自分の奥さんが売春をしても文句は言えません。

病気をもらう確率が高くなり、それによって、自分の生存や、人類全体の進化において障害となるから、こういうセックスは禁止される、というならば、では、病気にかからないように、しっかりと予防措置を取ればどうでしょうか。

自分の娘や奥さんが、しっかりと予防すれば、彼らを止めることはできません。 医学が進歩して、もはやいかなる性病にもかからなくなることが確認できれば、人間は、性に関してあらゆる障壁を取り去ることができるのでしょうか。

また、劣等者の生存を保証する根拠が、人類の進化発展に貢献するかどうか、ということにある、となると、逆に、それでは、貢献しないと判断された場合に、劣等者であるか否かに関わらず、他者の生存を否定することができるということにもならないでしょうか。

実際に、古くはヒトラーのユダヤ民族やロシア民族の絶滅政策から、最近のスウェーデンの避妊強制手術に至るまで、自分及び人類の生存に貢献しないと判断した者の存在を否定してきたのではないでしょうか。

進化論の前提に立つことによって、性道徳や、他者の生存権を認めることはできません。

すでに様々な人々が主張しているように、進化論は、普遍的倫理を完全に破壊することになるのです。万人の生存権とか、基本的人権とかの現代の国家の法律の基礎を形成してきた自然法思想は、進化論の主張を徹底させることによって吹っ飛んでしまいます。






ホームページへ