なぜ進化は不可能か
近くの公園に車を停め、ウィンドウを少し開けて、横になっていたときに、その少しの隙間から一枚の木の葉がひらひらと入ってきました。これを見て考えたのですが、
もし、この特定の木の葉が私の車の中に偶然に舞い落ちることを期待すれば、これは限りなく0に近い確率になるのだろう。偶然に私の車が、その木の葉の落ちる場所にいて、しかも、私が停まっている間に葉が枝から離れ、それが舞い落ちる際には、非常にせまいウィンドウの隙間から入るといったことを、あらかじめ期待することは到底できない。
しかし、その特定の木の葉ではない場合、つまり、任意の木の葉が私の車のウィンドウの隙間から入ることを期待することは十分にできる。なぜならば、木の葉は無数にあって、風に吹かれてパラパラと街路に落ちることは普遍的に見られる光景であり、その中の一枚が車のウィンドウの隙間から忍び込むということもよくあることである。
さて、進化について考えると、進化があったと仮定すると、30億もの塩基配列が偶然に人体を構成するに十分に整序されて並ぶ確率は4の30億乗分の1(正確にはある特定の結び付きの傾向があるため4の15億分の1らしいが)という限りなく0に近い確率である。また、100個のアミノ酸から成るある特定のタンパク質が、生体内で起こるある特定の役割をきちんと果たすために合成される確率は、20の100乗分の1(アミノ酸は20種類あるので)である。
どちらもそれらが偶然に起こることを未来において期待するならば、確実に裏切られる以外にはないだろう。
しかし、あの木の葉が偶然私の車に入ってきたのと同様に、きわめて小さな確率でしかないものでも、実際に起こることは私たちの目の前にあるわけだから、そういったことを無碍に拒絶することはできないのではないだろうか。
しかし、残念ながら、この推論には大きな落とし穴があります。
それは、すでに述べたように、そのような超希少な出来事が起こるには、その希少さに比例してそれと同一のまたは類似した出来事が無数に起こっていなければならないということを忘れているということです。木の葉がすきまから入ってくることが起きるには、木の葉(特定されていない)が街路などに落ちるということが無数に起こらなければならない。
出来事が確率的に低ければ低いほど、それを実現させるための試行回数は増えなければならない。というのも「いかなる意図もないまったくランダムな世界において、あるまれにしか起こらない事が起きたという場合に、普通、それが起こるにふさわしい無数回の試行が背後に行われているはずだ」とするのが確率の世界だからです。サイコロを振って5の目が続けて3度起こった場合、「まぐれ」で1発で起こることもあるでしょうが、普通、そのようなことが起こるには、6X6X6=216回の試行があったと考える。
とするならば、進化の世界において、ある奇跡的にまれな出来事が起こらなければ進化が成立しないというならば、その奇跡的にまれな出来事を偶然・ランダムに発生させるには無数の試行があったはずだ、と当然考えなければならない。「いや〜、たまたまラッキーが続いてね。アメーバは人間まで進化したのですよ。」というのは、博打屋の発想であって科学者のそれではない。
となると、先の例でいえば、100個のアミノ酸から成るある特定の小さなタンパク質が、生体内で起こるある特定の役割をきちんと果たすために偶然に合成されるには、20(=アミノ酸の種類)の100乗回の試行があったということになる。大腸菌が一つの独立した有機体として機能を果たすものになる、すなわち、無機物が(500万の塩基からなる
DNAを持つ)大腸菌まで進化したというのが本当ならば、(4の500万乗)回の試行錯誤があったはずだ。同じように人間が成立するまでには(4の30億乗)回の試行錯誤があったはずだ、ということになる。
はたしてそのような試行錯誤があったのだろうか。
小さなタンパク質の例をもう一度あげさせていただくならば、20の100乗(=10の130乗)回の試行とは、1秒に1回行われたとしても、地球の年齢と仮定される期間(45億年=10の17乗秒)の約9乗、すなわち、8x10の86乗年を要する。
もちろん、これは1つの個体においてであって、無数の個体を前提とすれば、もっと期間は短くなると考えることもできるかもしれませんが、困ったことに、高等生物になればなるほど、構造はより複雑になるので、進化が進めば進むほどより多くの試行→個体が必要となる。
例えば、下等生物において用いられている消化液の種類や質と高等生物に用いられているそれとは明らかに異なるのでしょう。
消化液の相互の間の微妙な連携も複雑になるでしょう。
こういった複雑さが増せば増すほど、それを可能にする構造が偶然に成立する可能性も指数関数的に小さくなっていく。可能性が小さくなればなるほど、その試行回数は反比例して増えていく。
あのような小さなタンパク質ですら、膨大な試行を必要とするならば、高等生物にまで進化するには無限大の試行と時が必要であったということになります。