キリスト教のユダヤ的伝統の回復(1)
ジョン・D・ガール博士
1世紀ほど前、ユリウス・ヴェルハウゼンが大胆にも「イエスはクリスチャンではなく、ユダヤ人であった。」と断言した時、預言的回復主義はまったく思いもよらぬ所から劇的な励ましを受けたのである。ヴェルハウゼンの発言の目的は、神や霊的な事柄を聖書から取り除くことによって聖書を「非神話化」しようとする反啓示的自由主義を激励することでしかなかった。にもかかわらず、それは、学界全体に大きな衝撃の波を与えたのである。発言は聖書の啓示的権威に対する攻撃に勢いを与えるものであると捉える者もいれば、史的イエス研究を志す者も現れた。
20世紀になって、二三の学者たちは、「イエスはユダヤ人であり、イエスが生涯において実践した宗教は聖書的ユダヤ教であったという事実」について研究を開始した。これは、数世紀間、問題にもされてこなかったことであった。カトリック、正統主義、プロテスタントをはじめとして、教会は長い間、イエスを普遍的キリストthe cosmic Christ の座に据え、そのユダヤ的人性をほとんど忘れていたのである。教理や信条においては「イエスは真の神にして真の人間なり」と唱えていたものの、あらゆる実際的な目的において、イエスの人性を忘れ、彼がユダヤの同胞の一員=ユダヤ人であることも見失ってきたのである。
これまで、教会がイエスのユダヤ性を否定すると、必ず仮現説という古代の異端が復活した。仮現説は、イエスの人性を完全に否定し、「イエスの物理的表象はその絶対神性を隠すための霊体でしかない」と唱える。イエスは、金髪と青い目を持ち、頭の回りには絶えず後光がさすといった明瞭な神性を備えた一人の西欧人として描かれた。実際は、イエスの絶対的人性は、彼の預言者としての働きの前提条件であった。つまり、人間となり、人間として生活し、人間としてあらゆる罪に打ち勝ち、人間として死なれることがなければ、イエスは人を購うことはできなかったのである。彼は、これをユダヤ人として行われたのだ。カルケドン公会議において、「イエスは受肉において完全な神性と完全な人性を取られた」という二性一人格の教理が確立されたにもかかわらず、それ以降教会は、イエスの人性に関する最も基本的な事実、すなわち、「イエスはユダヤ人であった」という事実をほとんど否定してきたのである。ロバート・T・オズボーンは、このようなイエスのユダヤ性の否定を「クリスチャンによる冒涜」と呼んでいる。つまり、それはクリスチャンが反ユダヤ主義を支持し続けるために意図的に創作したごまかしにすぎないと言うのだ。
イエスのユダヤ性が再発見されたのと同時に、「ユダヤ教はイエスや初代教会にどのような影響を与えたのか」というテーマにますます関心が集まるようになった。教会は、キリストとしてのイエスはユダヤ教に代わるまったく新しい宗教をもたらした、つまり、イエスは、人類にとってまったく未知の概念を導入した、と信じていた。聖書自らが「イエスは知恵が進み背丈ものびた」と述べ、人間の正常な成熟過程の一部としてイエスの成長を明らかにしているにもかかわらず、教会は、ユダヤ人の家庭や環境はイエスや彼の人間の霊的・知的生活には影響を与えなかった、と考えたのである。
実のところ、イエスは、1世紀のイスラエルを構成していた多様なユダヤ教派のすべてから折衷的な借り物をしたのである。1世紀において、ユダヤ教は一枚岩ではなく、それゆえ、イエスは様々なユダヤ的信仰と接するようになった。教会がイエスの作と考えてきたあの「黄金律」も、実の所ヒレルがすでに述べていた教えを適用したものでしかなかったのである。イエスの教えの大部分は、その原型をイスラエルの預言者や賢人たちのメッセージの中に求めることができる。その中には、旧新約聖書の中間時代のものであるとか、イエスの時代の数十年前に存在した偉大なラビの学派の教えが含まれるのである。「イエスの見解は1世紀のユダヤ教の各派と異なっている」と見る向きもあるかもしれない。教会は「イエスが引用したり適用した概念や発言は、イエス独自のものであって、過去の時代に由来するものではない」と考えることによって、自らに対して、そして、ユダヤ人に対して多大な害を及ぼしてきたのである。
聖書的ユダヤ教とイエスの福音の間に何らかの関係があったことが理解されるにつれて、「イエスが実践された宗教は、彼がシナイ山においてロゴス神として顕現され、ユダヤの人々にお与えになったのと同じ宗教−−つまり、ユダヤ教−−であった。」ということが明らかになった。ますます多くの学者がこのことを認めるようになっている。繰り返すが、ユダヤ教の実践は、預言者の職務を遂行するための前提条件であり、それゆえ、イエスにとってそれは選択可能な事柄ではなかった。彼は、女から生まれ、トーラーの下に、ヤーウェの律法全体を守り行う義務を負って世に来られた(ガラテヤ4:4)。彼は、遵法的ユダヤ人であり、律法の命令を文字どおり守り行う点において極めて正統的であった。まさにこの意味において、「彼は罪を知らなかった」(第1ヨハネ3:4、第1ペテロ2:22)のであり、まさにこの意味において、彼は、全世界の罪のための完全な犠牲となるにふさわしい完全な義を打ち立てたということが出来るのである(ヘブル2:10)。イエスが律法を遵守されたからこそ、義が確立し、その義は信者に転嫁された。つまり、イエスの血によって罪を洗い清められた信者は、イエスの義を自らに帯び、それによって神の御前に義と認められるのである(第2コリント5:21、ローマ3:21、22)。イエスはしばしば、後にミシュナーやタルムードのゲマラとしてまとめられた口承のトーラーや言い伝えと対決されたが、書かれたトーラーの命令を破られたことは一度もなかった。また、賢者たちの言い伝えをすべて否定されたわけでもなかった。イエスは、ユダヤ教を実践されたのである。
「イエスの来臨の目的は、単にキリスト教と呼ばれる新しい宗教を打ち立てることではなかった」という事実を認める学者が増え始めている。このことは、イエスのユダヤ性やユダヤ教的実践に関する知識が増すにつれて、学界はもとより、それ以外の世界においても、明らかになってきたのである。イエスは悪い宗教を廃棄して良い宗教を打ち立てるために来られたのではない。彼の来られた目的はただ一つ、御自身がシナイ山において書き表された教えを刷新することである。イエスは、カルバリで死なれることによってそれを完成し、刷新されたのである(ヘブル12:2)。周知のように、キリスト教とは、福音を異邦人の文化に関係づける善意の人々の努力の産物であり、この努力は、福音の遺産とは無関係の制度を生み出したのである。
イエスの働きは、「改革reformation」(ヘブル9:10)という一言に要約することができる。イエスは改革者reformerであって、革新者innovatorではなかった。彼の目指したところは、ただひたすらユダヤ教を改革することであった。つまり、その制度に含まれる永遠の原則を、全世界において守り行うことができるものに変えようとされたのである。ユダヤ教に対してイエスが取られた基本的な立場は、マタイ5:17に記されているとおりである。「私が来たのは律法や預言者を廃棄するためだと考えてはならない。廃棄するためではなく、成就するために来たのである。」律法やユダヤ教を廃棄し、それを新しい宗教と置き換えることは、けっしてイエスの意図や計画や意思ではなかった。また、「当時のイスラエルの指導者たちが不信仰であったがゆえに、そのように行わざるを得なかった」というわけでもなかった(ローマ3:3、4)。イエスは、ご自分が創始された宗教に対して、個人的忠誠を貫かれたのである。また、ユダヤ人に対しても、弟子たちに対しても、その宗教の基本的諸原則−−これらは、ただ御自身の死と復活によってのみ改革され、完成される−−に対して誠実であるように教え諭されたのである(マタイ5:19、20、ルカ18:18−22)。
イエスがユダヤ教において改革された領域は、おもに犠牲制度と儀式制度であった。イエスがカルバリの十字架上で罪のための犠牲となられた時に、彼は犠牲制度をことごとく成就されたのだ(ヘブル9:25−28)。イエスの血が流された時に、全人類の罪の贖いが成し遂げられ、それゆえ、罪のための動物犠牲制度は無用になったのである。しかし、罪のための犠牲制度自体が破壊されたわけではないことも留意すべきである。それは、イエスの体と血の完全なる犠牲という、新たな、さらにすぐれた犠牲によってのみ改革されたのである。犠牲制度は、教会において、新しい局面を与えられた。それらは、賛美のいけにえ(ヘブル13:15)、祈りのいけにえ(黙示録)、神の御心に服従した生ける体の犠牲(ローマ12:1)として残ったのである。
ユダヤ教の儀式制度において行われた多くの要素も、イエスの生命、死、復活、昇天によって無用なものと見なされるようになった。農業社会、自然的社会は、イエスによって霊的社会=教会に変えられた。イエスの時代のユダヤ教派の多くはすでに、「トーラーの永遠的原則を霊的に適用することは、その外面的儀式に奴隷的に従うことよりも重要である」という事実を強調するようになっていた。しかし、イエスはこの考えをさらに発展させて、ユダヤ教の全儀式制度を改革したのであった。安息日と農業的祝祭には霊的意義が付与された。第一、イエスは信者にとって安息となられた(ヘブル4:1−11)。彼はまた、彼を受け入れる人々にとって過越となられた(第1コリント5:7)。ペンテコステはトーラーの授与だけではなく、聖霊の降臨をも祝う祝祭となった。儀式における禊ぎは、再生と聖化という霊的禊ぎによって成就された。(第1コリント6:11)。しかし、繰り返すが、ユダヤ教の制度は、ただ改革されたのであって、けっして廃棄されたわけではなかった。安息日の祝いと祭りは、安息日の主や、主の贖い(過越)や、力づけの御業(ペンテコステ)を記念する行事の中に継続された。イエスのすべての御業はそのいずれをとっても、当時のユダヤ教制度の改革であって、廃棄ではなかった。また、それは、キリスト教と呼ばれるまったく新しい制度への置き換えでもなかった。
第1世紀の教会はイエスの教えを受け継ぎ、ユダヤ的性格を色濃く残しており、それは、使徒文書の中で十分に証明されている。イエス・キリストの教会は、その主と同様に、ユダヤ性を帯びており、ユダヤ教の改革派としてその内部で活動を継続していたのである(使徒24:14)。使徒たちには、教会をユダヤ教から切り離す意図はなかった。むしろ、メシア性とイエスの永遠の贖いの御業に関する自らの見解が、同胞であるすべてのユダヤ人にも規準として受け入られるように願っていた。彼らはイスラエルの礼拝共同体の忠実なメンバーとして毎日宮において主にお仕えし(使徒2:46)、その儀式に参加することもあった。イエスが創始された改革的ユダヤ教は、このような儀式を守ることを少しも強制しなかった(使徒21:23−27)。教会が異邦人たちに守るように教えた命令はユダヤ教から直に取られたものであった(使徒15:19、20)。
パウロはユダヤ人からは、ユダヤ教の背教者として訴えられ、多くの異邦人クリスチャンからは、ユダヤ教に対して致命的な一撃を与え、ユダヤ教の代わりに異邦人化されたキリスト教を確立した人物として賞賛された。しかし、パウロほどユダヤ教を忠実に実践した者はいなかったのである。生涯を通じて彼は、パリサイ人として、また、ガマリエルの弟子として自らの立場を貫いた(使徒22:3、22:6)。彼は、イエスによるユダヤ教改革の正当性を論証すると共に、異邦人もユダヤ人も、神の古の宗教への服従を求める新約聖書の命令を守り行うように励まし続けたのである(第1コリント5:8)。イエスやそれ以前のユダヤ人指導者たち(とくにディアスポラのユダヤ人たち)と同じように、パウロも「儀式的・外面的律法遵守は、永遠の原則−−律法とユダヤ教はこの上に建てられており、その外面的遵守は、一時的な表現にすぎない−−を通じて行われる神との内面的・霊的関係に比肩しうるものではない。」ということを理解していた。これこそ、なぜパウロが宮聖めの儀式に進んで従ったのか、また、なぜ異邦人教会に対して、キリストの体と血による聖餐という新約聖書の祝祭によって過越祭を守るように勧めたのか、という疑問に対する解答である。パウロが一貫して説いたのは、新しい救済の道ではなかった。パウロによれば、人間はアブラハムと同じ方法で神との正しい関係を築き上げなければならなかった(ローマ4:16、ガラテヤ3:5−29)。パウロが描いたキリスト教の生活は、ユダヤ人である自らの主が解釈されたユダヤ教の教えに基づいていたのであって、けっしてプラトニズムや異邦の神秘宗教の教えに基くものではなかった。
しかし、教会はローマ11:18−20の「異邦の枝はイスラエルに対して誇ってはならない。」とのパウロの警告やユダの「かつて聖徒たちに与えられた信仰のために教会は熱心に戦わなければならない。」との訓戒に耳を傾けなかった。実際、パウロが予言していたように、彼が去った後に、貪欲な狼が教会に入り込み、神の群を荒し回ったのである(使徒20:28、29)。神が異邦人に開かれた扉は、入る方向にも出る方向にも振れたのである。それは、諸国民に向かって神の信仰を開け放ったと同時に、非ユダヤ的世界の伝統や概念をも取り込んだのである。神が異邦人を信仰の家族に加えようとしておられることに疑いの余地がないのと同様に、御霊が教会をギリシャ的世界の思考から絶縁させようとしておられることも疑いの余地はない。しかし、教会は、すぐにユダヤの遺産を失い、本来ならそれを支配するために召されていたはずの異教文化の堕落した思想によって圧倒されたのである。
教会のギリシャ人教父たちは、ギリシャ世界が福音を受け入れやすいようにとの配慮から、プラトン哲学やギリシャ宗教思想の、教会のユダヤ的信条への混入(シンクレティズム)を許してしまった。殉教者ユスティノスの時代から、プラトン主義とキリスト教教義との調和の試みが続けられていた。そして、アレクサンドリアのクレメンスやオリゲネスにおいてこの試みは頂点に達した。彼らは「プラトンは自覚せぬクリスチャンであった」とさえ信じたのである。このようなプラトン主義とキリスト教の混合は、善意に基づくものであったとはいえ、軽率のそしりを免れることはできない。これらの混合物は、教会のユダヤ的信仰遺産を圧倒し、ついには、キリスト教を、人数的にも、神学的にも、政治的にも、異邦的運動にまで貶めたのである。初期の3世紀の間に、使徒的教父や弁証学者や論客たちは、信仰をギリシャの見識のある知識人にとって受け入れやすく、彼らの気を引くものにしようと腐心した。このような善意の配慮によって、教会は堕落し、イエス・キリストの信仰とは異質の哲学や宗教思想と妥協するようになった。
このような妥協から生まれたのが、ユダヤの母体から切り離された異邦的福音、つまり、教会をイスラエル社会から分離する福音である。事実、ユダヤ教とキリスト教の分離は双方の合意に基いており、教会の側からだけではなくユダヤ社会の側からも促進された運動であった。しかし、自らの遺産を放棄し、イスラエルから自らを分離した責任の大部分は教会にある。結局、教会は福音におけるイエスのユダヤ性を無視するようになり、多くの場合、それを拒絶さえしたのである。そして、キリスト教化され、異邦化されたキリストを受け入れ、その名前のもとに、何世紀にもわたって、神のオリーブの自然種の枝に対して毒気を含む高慢な言葉を吐き続けたのである。はじめは打ち上げ花火程度だった主張が、ポグロムや異端審問の大火になり、ついには相次ぐ反ユダヤ主義の波とともに20世紀のホロコーストに至った。反ユダヤ主義は今日においても教会の外貌を汚す大きなキズとして残っている。16世紀の宗教改革はキリスト教の教会に信仰の光を回復したが、神が期待しておられた目標にははるかに及ばなかった。つまり、民族主義に拘泥し、1400年ほどの間に霊的遺産の一部となってしまった反ユダヤ主義を恒久化してしまったのだ。
しかし、神は、使徒時代の教会について、また、その固有のユダヤ性について、徐々に真理を明らかにしておられる。はじめ、学者たち(彼らの多くは同僚から変わり者と思われていた)の脳裏に、「教会は、遺産を残してくれたユダヤ人に敬意を表する責任がある」という考えが浮かび、その後、20世紀の悲劇的事件が発生するに及んで、キリスト教会は、否応なくユダヤ人の立場に関心を持つようになったのである。
その結果、一部の人々は、教会にとって歴史的な教義であった破棄の教義(置換神学)を見直し、修正神学を採用するようになった。この修正神学は、2つの平行かつ均等な契約及び宗教−−つまり、ユダヤ人にとってユダヤ教、異邦人にとってキリスト教−−は、どちらも有効であり続ける、と主張する。これは善意から出てはいるものの、聖書の明確な教理の否定であり、誤謬である。聖書は、「一つの主、一つの信仰」(エペソ4:5)だけが存在すると明言している。
しかし他方では、多くの人々が「イエスが実践し、教えられた宗教を正しく伝えるためには、キリスト教はそのユダヤ的ルーツに立ち帰り、その本質的なユダヤ性を回復しなければならない。」と考えているのである。これらの信仰者たちは、「全世界において教会のユダヤ人に対する聖書的な働きを完遂する唯一の方法は、教会がユダヤ人への嫌悪と反ユダヤ主義を自覚し、それを悔い改め、その固有のユダヤ性を回復することであり、そのことを通して、ユダヤ人が、キリスト教的キリストではなくユダヤ的メシアを受け入れるのを助けてあげることである。」という点に気づいている。キリスト教会は、反ユダヤ主義の火に油を注いだという事実に対して責任を負わなければならない。教会は、聖書の民を積極的に迫害したことや、他の人々が公然とユダヤ人を迫害した時にその行動を黙認した罪を完全に悔い改めなければならない。教会は、自らの取った態度が、イエス御自身を否定する心から生じただけではなく、自らの固有のユダヤ性を否定する心からも生じたということを理解しなければならない。教会が、内容と表現においてユダヤ的になればなるほど、ユダヤ人はさらに積極的に福音に耳を傾けるようになるであろう。
1900年もの間、教会は自らを見失い、己を制御することができなかった。聖書という錨から引き離されたために、創設者なる神が期待された姿に到達することができなったのだ。生まれたときに生みの親の手から離された子供のように、教会は自らのルーツや自分の真の姿を探し求めて泣いている。しかし、今や多くの者が目覚めつつあり、「ユダヤ教こそキリスト教の母体である。」と気づきつつある。この偉大なる覚醒はすでに始まっており、これから、世界中でますます大きな広がりを見せるだろう。それは、聖霊があらゆる教派のクリスチャンの心に働きかけておられるからであり、このお働きによって、彼らはユダヤ人なる主イエスを通して自らの信仰のユダヤ性に気づき、それを確立するからである。それは「クリスチャンは現代のユダヤ教の教えを実践することによってもっとユダヤ的になれ」というような単純な求めではない。それは「些細な事柄について専門家になれ」とか、「工芸品を収集せよ」といった求めでもない。それは「ユダヤ人なる主をますます愛せよ」との求めなのである。それは「ユダヤの書物を正しく理解し、ユダヤ人なる主を経験によって正しく理解することによって、神との間に正しい関係を築け」との求めなのである。今こそ、神の御言葉を真に愛する人々が聖書を熱心に読み、これまで隠されてきた真理を学び、回復の働きを始める時である。キリスト教の中に正当性を探し求めている世界中の多くの信者たちは、さらに一歩前進する必要がある。答えは、イギリスにも、イタリアにも、ギリシャにもない。答えはイスラエルにある。もし教会が、世の光となり、イスラエルにあわれみを示すものとなることを望み、それを可能にする正統的信仰を求めているならば、教会は、プラトンや哲学者たちの影響から脱して、古のヘブライ信仰を探り求めなければならないのだ。
1900年もの間、教会を特徴づける言葉は、よくてユダヤ恐怖症、悪ければ公然たる反ユダヤ主義であった。しかし、今や、教会はあるものを受けつつある。それは将来、奇跡的な癒しを与えるはずのものである。聖霊は、ほぼすべての教派の人々の内に、第1世紀の教会が遺したユダヤ的遺産の回復への飢え渇きを起こしておられる。神は、「過度にギリシャ化・ラテン化されたキリスト教」が「再ユダヤ化」され、「その固有のユダヤ的理想に回復する」ことを期待しておられる。それが実現する時に神は何を為し給うか。エドワード・フラネリーは、簡潔な言葉で言い表している。この広範かつ成長しつつある現象は、ただ一つの団体に限定されていない。この事実は、この働きが聖霊の御業によるものであるということを強調的に示しているのである。
使徒3:20、21において、ペテロは、主の「顕現parousia」に先立って万物の回復が起こると予言したが、イエス・キリストの福音のユダヤ的遺産の回復は、万物の回復を促す新たな聖霊の覚醒である、と言うことができるのだろうか。あらゆるクリスチャンは、失われたユダヤ教の遺産をすぐに回復できるのだろうか。神は、福音がギリシャ化され、ラテン化されたという事実を最終的かつ完全に暴露され、教会を正当なユダヤ的遺産のもとに回復されるのであろうか。この聖書的・預言的真理がいよいよ強調されるならば、これらの質問に対して、最終的に、大声で「イエス!」という答えが返ってくると思われる。
これこそ、新しいネットワーク組織RESTORATION FOUNDATIONを創設した目的である。世界には、ユダヤの回復とイスラエルの救いに重荷を持つ人々が何千となくいるが、彼らはバラバラで、孤立している。このため、彼らの努力は、自分の目から見ても、また、世界の目から見ても、最小の成果しか生み出せないのである。しかし、今や、神によってこの重荷を与えられた人々が、連絡を取り合う時が来たのである。それは、互いの重荷を負い、意見を交換し合い、力を出し合うことによって、この回復のメッセージを携え、キリスト教会全体にインパクトを与えるためなのである。
30年ほどの間、筆者は、自らの知的・霊的生活の主要な焦点の一つを、イエス・キリストの福音におけるユダヤ的遺産の分析に当ててきた。なぜ筆者がユダヤ教の文献に対して興味を持つようになったのか、そして、なぜそれがこのように息長く続いているのだろうか。それは、私の受けた教育のゆえである。私は、恩師である故グレイディ・R・ケント主教から、神の不変性と聖書的宗教の継続性の原則を学んでいた。この30年の間に、私はユダヤ・キリスト教の様々な側面について広く研究し、本も著してきた。10年以上も前に書いた『失われた遺産』は、それ以前に書いた20年間の評論の要約であった。それは、第1世紀の教会が聖書的ユダヤ教の母体から出たこと、そして、イエス・キリストの働きがヘブライ聖書にどのような影響を与えたかについて詳細に説明している。
この回復の働きを進めた結果、私の心の中で「キリスト教信仰に本来備わっているユダヤ性を世界中のすべての信者が理解できるために働く」という重荷がはっきりと意識されるようになったのである。1979年に、私は、自分が所属する教派から次の2つの任務を委ねられた。(1)ユダヤ的回復のメッセージを異邦人クリスチャン社会に伝えること。(2)あらゆる場所に住む信者に、自分たちの遺産がユダヤ教に負うものであることを示すこと(この認識こそがユダヤ人なるメシアの再臨に対して自らを整えることになる)。1992年に、回復の働きに携わる多くの指導者たちと対話する機会を得たが、その中で私は「この働きを遂行するには、それに役立つ伝達手段が必要である」と確信するようになったのである。私は、聖書学者やユダヤ性の回復に関心を持つ人々を一堂に会する、教派・教義の枠にとらわれないフォーラムを開設すること、また、それを実現させる組織網を作るというヴィジョンを思い抱くようになった。フォーラムでは、キリスト教におけるユダヤ的遺産の回復を研究・開発したり、この考えをキリスト教社会に伝えるための手段について話し合ったりする。しばらくこのことを思いめぐらすうちに、私の頭にRESTORATION FOUNDATION の構想が閃いたのであった。
RESTORATION FOUNDATIONは、非営利的研究開発教育機関となるだろう。RESTORATION FOUNDATION の目標は、キリスト教会が自らのユダヤ的遺産を回復する上で、そのお手伝いをすることである。RESTORATION FOUNDATION の目的はキリスト教がアブラハムの信仰へ完全に回帰することを助け、この回復がメシアなるイエスを通して全世界に広まるのを促進することである。それは、イエス・キリストの福音のユダヤ的遺産に関して、その歴史的・神学的見解を調べ、考えを発展させ、実際に適用し、教会における実践を励ますことによって達成されるだろう。基本的性質と目的から考えて、RESTORATION FOUNDATION は超教派の組織であり、それゆえ、いかなる教派の教義にも束縛されない全く自由な活動を行うだろう。その会員または構成員の、ほとんどとは言えないまでも、多くの者は、特定の教派や組織の教義を持ち続け、それを押し殺したり、隠したりするように求められないだろう。RESTORATION FOUNDATION は、情報や資金の伝達機関としての立場を越えて働くことはしない。協会は、教派や団体によるいかなる直接的及び間接的影響・操作からも完全に守られるだろう。協会は、ユダヤ性回復の働きに携わる指導者たちを集合し、彼らの資金をプールし、それを預言的回復の働きにおけるこの重要な部分の調査・開発・宣伝活動のために役立てるだろう。
最近のギャラップ調査によれば、半数を超えるアメリカのクリスチャンは、いかなる教派にも所属したくない、と答えている。彼らは、RESTORATION FOUNDATIONにとって、働きかけることができる広大な畑である。そこには、ユダヤ性の回復のような霊的知的価値のある主義主張に賛成する見込みのある多くのクリスチャンが存在する。しかし、同時に、確立された教派や現存する権力構造との公平かつ非強制的な関係を構築することによって、すでに組織化されている支持勢力を獲得することも可能である。彼らは、キリスト教社会にその聖書的遺産を気づかせるというRESTORATION FOUNDATIONの包括的目標に賛同するだろう。
RESTORATION FOUNDATIONの第一の仕事は、ネットワークの組織化とその維持である。ネットワークを介して、キリスト教におけるユダヤ的遺産の啓蒙に関心を持つ個人・聖職者・組織を互いに結び合わせるのである。これは情報媒介として、教派・組織を越えた交わり・対話・協力を可能にするだろう。修養フォーラムを設け、聖書の集中的学びや、対話を通しての学び、個人的及び集団的祈祷、個人間の交わりが行われるだろう。また、シンクタンクセッションを開き、メンバー同士が、創造的な思考、意見交換、概念試験を行うだろう。そこにおいて、議論は公然と行われ、特定の教派や組織の利害と無関係な非強制的雰囲気の中で行われるだろう。このフォーラムは、RESTORATION FOUNDATIONの内でも最も重要な活動分野の一つとなるだろう。これは、私が長い間心に抱いてきたもう一つの夢−−つまり、一致の霊が生み出すエキュメニズムではなく、御霊の一致が生み出すエキュメニズムを土台として、指導者たちが集まるという夢を実現することにもなろう。(エペソ4:3)。
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