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神の国の到来(2)



(Q)審判が終わったのに、神の国は到来せず、解釈的にイエスの来臨があったとしても世の中の悪を取り除くことができなかったと言われてもしかたがないのではないでしょうか。

(A)これも、空想に基づいた「審判」という意味で言葉を用いたわけではありません。

 審判とは、繰り返し述べましたように、「イスラエルに対する」審判なのです。ご存じのとおり、イスラエルは、神から選ばれて、神の契約を守り、神の支配を実現するために生み出された民族です。しかし、彼らは神との契約を捨てて、最後には、神の御子をも十字架につけて殺しました。そのために、神は、裁きを下されたのです。

 マタイ24章の前の章には、次のように記されています。

 「ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた者たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。」(23・37−38)

 それに続いて、神殿の崩壊、エルサレムの崩壊が預言されているのですから、24章の審判は、イスラエルに対するものであると考えなければならないのです。




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