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人間王国の挫折



 啓蒙主義において、理性崇拝が行われました。

 啓蒙主義者は、キリスト教信仰を、理性に敵対するものであると考えていました。  しかし、キリスト教は、理性を敵視しません。理性は、神の支配を地上に拡大するために、人間に与えられた道具です。

 ただし、キリスト教は、むきだしの理性を認めません。むきだしの理性とは、神の啓示の助けを受け入れない理性です。

 聖書は、生まれながらの人間の理性は罪によって汚されていると語っています。生まれながらの(つまり、回心していない)人間は、神を憎み、神をなきものとしようとします。人間は、神の敵として生まれてきます。ですから、神の抑制の恵みがなければ、人間は自然と神を除外し、人間だけの王国を作ろうとします。

 このように、人間の理性は、罪によって汚されているので、神の王国を作ることを望みません。それゆえ、聖書から離れた活動は、すべて神の支配をくつがえそうとするサタンの活動となるのです。

 科学も、神の抑制の恵みがなければ、次々と神を度外視する働きとなります。  それは、自殺行為であり、人間が科学を発達させればさせるほど、自分の首をしめるようになるのです。

 したがって、キリスト教は、人間のむきだしの理性を否定し、まず、再生された理性が必要であると説きます。人間はまず生まれ変わる必要があるのです。そして、生まれ変わった人々は、神の啓示にもとづいてあらゆることを思考するようになります。この思考は、聖霊によって導かれた思考であり、神の啓示(聖書)に基づいた思考です。それゆえ、神の主権を確立し、神の御心を地上でも行うために理性を活用するようになります。

 神は、むきだしの理性では人間は自らを破滅させるしかない、ということを悟らせるために一時的に近代人に、神抜きの世界建設という実験を行わせます。神は、人間に向かって、「さあ、自分たちの理性だけで何ができるか、やってみなさい。」と言われます。啓蒙主義に始まる露骨な人間王国建設の実験は、20世紀になって、失敗することが明らかになりました。人間王国は、挫折したのです。

 人間王国の挫折から教訓を学びとって、近代の失敗の原因を理解する人は幸いです。彼は、神に立ち返ろうとします。「人間の不完全な理性ではだめだ。人間の主権を建てるのではなく、神の主権を建てなければならない」と気づく人は幸いです。

 もし、このことに気づかなければ、破局しかありません。人間は、最後に完全に破たんするまで突き進むのかもしれません。




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