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後千年王国説とユダヤ人の救い





ゲイリー・デマー/ピーター・ライトハート


ユダヤ人もねたみに駆られるようになるでしょう。パウロは申命記三二章二一節を引用し、ユダヤ人について次のように述べています。「でも私はこう言いましょう。『はたしてイスラエルは知らなかったのでしょうか。』まず、モーセがこう言っています。『わたしは、民でない者によって、あなたがたのねたみを起こさせ、無知な国民によって、あなたがたを怒らせる。』」(ローマ十○・十九)異邦人は大きな祝福を受けてきました。「では、尋ねましょう。彼らがつまずいたのは倒れるためなのでしょうか。絶対にそんなことはありません。かえって、彼らの違反によって、救いが異邦人に及んだのです。それはイスラエルにねたみを起こさせるためです。」(ローマ十一・十一)このねたみのゆえに、イスラエルの残りの民は将来回心に導かれるのです。また、パウロは言います。「考えてみなさい。イスラエルの失敗が世界の富となったのであれば、彼らが回心する時には神はどれほど大きな祝福を地に降らせ給うかを」。「もし彼らの違反が世界の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるのなら、彼らの完成は、それ以上の、どんなにかすばらしいものを、もたらすことでしょう。」(ローマ十一・十二)この約束はユダヤ人の上に成就します。その時、祝福の時代が始まるのです。彼らが神の平和条約に服従する時に、御国は驚異的に発展します。これこそパウロが「それ以上の…もの」という表現によって伝えたかったことなのです。これは十番目の段階へと導きます。つまり、爆発的な回心と祝福の時代が到来するのです。もし神が、民の契約的誠実に対して祝福をもって応えられる方であるとすれば、ユダヤ人の間に広がる回心の波がどのようなものになるか想像してみてください。異邦人の完成の時が来ると、イスラエルは回心します(ローマ十一・二五)。その時、ユダヤ人と異邦人の間の区別は全く歴史から消し去られます。そして神の御国がかつてないほど完全に統合されるのです。1


 ハル・リンゼイは、「ドミニオン神学者[=再建主義神学者]」は「反ユダヤ主義」への道を開いている、と非難します。なぜならば、リンゼイの判断によれば、彼らは預言の解釈においてユダヤ人にすぐれた地位を与えていないからなのです。神の計画においてユダヤ人に特別な地位を与えているのはディスペンセーショナリズムだけである、と氏は信じています。しかし、氏が「ドミニオン神学者」であると呼ぶ人々のほとんどは後千年王国主義者なのです。後千年王国説は、常に預言の解釈においてユダヤ人にすぐれた地位を与えてきました。この点においてリンゼイの非難はまったく的はずれなのです。最も重要な箇所であるローマ九−十一章の後千年王国主義者の解釈においてもこのことは真実です。

 この章では次の二つのことを証明します。第一、ディスペンセーショナリズムが十九世紀において発展を遂げる以前に、キリスト教神学者たちはすでにイスラエルの将来に関して活発な議論を展開していたこと。また、彼らの多くは、議論の枠組として後千年王国説を用いていたこと。第二、後千年王国説の見解は「反ユダヤ主義」ではなく、しかも、リンゼイがこの用語に与えたもっとも曖昧な意味においてさえ「反ユダヤ主義」ではないということ。むしろその逆に、歴史的な後千年王国説は、終末時の教会の栄光に関する預言においてユダヤ人に極めて重要な役割を与えていること。

 メシアに立ち返らなくてもユダヤ人は神の民の一員になれるのではないか。このような問いに後千年王国説はノーと答えます。後千年王国説は、「ユダヤ人はただキリストへの信仰によってのみ救われ、また、それによってのみキリストの体の生命の中に加えられる」と教えます。イアン・マーレーが述べたように、「ピューリタンは、キリスト教会を離れては、イスラエルにはいかなる特殊的約束も、また、いかなる未完の霊的約束も与えられていない、と信じてい」2 たのです。さらに、ディスペンセーショナリズムとは異なり、後千年王国説はこれまで、イスラエルの回心がキリストの再臨の前に起こると教えてきました。



初期の改革主義者の解釈



 十六世紀の宗教改革及び宗教改革直後の時期に、数人の神学者が、神の将来の計画におけるイスラエルの地位について議論しました。ジュネーブのカルヴァンの後継者セオドア・ベザは、英国の神学者トーマス・ブライトマンの説にしたがって、次のように述べました。「ユダヤ人も呼び集められ、福音を告白するようになるだろう。その時、(世界は)死から復活するだろう。」英国のピューリタニズムに直接的な影響を与えていたストラスブールの宗教改革者マルチン・ブーツァーは、一五六八年にローマ書の注解の中で「パウロは将来ユダヤ人が回心することを預言していた。」と述べました。はじめストラスブールでヘブライ語を教え、その後オックスフォードに転じたピーター・マーター・ヴェルミグリは、この意見に同意しました。3

 ピーター・トゥーンは、この解釈が大陸からイングランド、スコットランド、アメリカへ伝達した経緯について説明し、次のように述べました。

…カルヴァンやルターは、ローマ十一章二五節後半の「イスラエル」という言葉はユダヤ人と異邦人の教会を指していると考えていた。しかし、これは「ユダヤ人」、つまり、ユダヤ教を信じる非キリスト教徒のユダヤ人を指すと考ることができる。ベザ自身は、ローマ十一章のこの解釈に同意していた。「ジュネーブ聖書」*の各編集者も彼の意見に従った。(*この聖書は、メアリ女王の迫害から逃れてきた亡命者たちによって、ベザの存命中にジュネーブにおいて翻訳され、当時の世界に強い影響を与えた。)一五五七年版と一五六○年版において、「イスラエル」は「ユダヤ民族」のことを指す、との短い注が付いている。その後の版(例・一五九八年版)では、「旧約聖書の預言者は、ユダヤ民族が将来キリスト信仰に立ち返ることを預言していた」と、ローマ十一章に注記されている。この聖書やピューリタンの数々の著作(例・ウィリアム・パーキンス『ガラテヤ書注解』や、ヒュー・ブルートンの各著作)を通じて、ユダヤ民族が回心するとの教えは、イングランドやスコットランド、ニューイングランドに広く普及していた。4


イスラエルの将来に関するスコットランド及びイングランドの神学者の見解



 十七世紀のイングランドにおいて、「預言におけるユダヤ人の役割」は特に重要なテーマと考えられ、とりわけ、後千年王国論者のカルヴィニストの間において重んじられていました。イアン・マーレーは、十七世紀におけるイスラエルに対する関心の高まりを次のように要約して述べました。

ユダヤ人の将来は彼らにとって極めて重要な関心事だった。というのは、彼らは次のように信じていたからである。「神がお定めになった未来の御計画については、それをはっきりと啓示している箇所はごく僅かである。しかし、『ユダヤ人が召されると同時に、世界は大きな祝福を受けるようになる』とのわれわれの期待を裏付ける箇所は聖書の中に十分に存在するのである」と。ピューリタンのイングランドと契約的スコットランドは霊的祝福についてよく理解していた。彼らがイスラエルを重視したのは、さらに豊かな祝福を得たいと祈願していたからであって、単に未完成の預言に興味を抱いたからではない。6


 マーレーの著書には、なによりも、後千年王国説がイスラエルに対して大きな関心を寄せていたことを示す豊富な資料が紹介されています。ここではその内のほんの僅かしか引用することができません。十六世紀の終り頃に著作活動をしたスコットランドの神学者チャールズ・フェルメは、次のように主張しました。パウロは、「異邦人の完成の時が来ると、イスラエルの民の大部分が、福音を通して、彼らを救う神の御許に呼び集められるであろう。そして、以前は、つまり、頑なになっていた時代には、否定していたイエス・キリストを、告白し、信仰するようになるだろう」と述べた、と。7

 一六三五年の手紙の中で、サミュエル・ラザフォードは、長生きをしてこの目でユダヤ人の回心を見たいものだ、と述べました。

ああ、最上の喜び、キリストの雲上来臨!その次に私が慕うのは、我らの兄ユダヤ人とキリストが互いに抱き合って口づけする光景だ!彼らは長い間別れ別れになっていた。しかし、彼らが出会う時、互いの心は和むのだ。ああ、その日よ!待ち焦がれた素晴らしい夜明けよ!ああ、イエス様、私にその、死人の復活のごとき光景を見せてください。あなたと昔の人々が抱き合う光景を。8

 イギリスの説教家兼神学者トーマス・ブライトマンは、トゥーンの言葉を用いれば、「改革主義的・アウグスチヌス的千年王国思想の、重要かつ影響力のある最初の英国版」を発展させました。9  この英国版において、ブライトマンはユダヤ人の回心を強調しました。"A Revelation of the Revelation(1615)" において、彼は次のように主張しました。トルコ帝国の滅亡に続いて、「ユダヤ人がキリスト教に改宗する」だろう。その出来事によって「それより世の終りに至るまで非常に幸いな平穏な時代が訪れる」10 だろう、と。 一六三五年に出版されたダニエル書十一−十二節の注解書の副題は、「その最後の三人の敵が完全に打ち負かされた後に訪れるユダヤ人の回復とキリスト信仰への召命は、あざやかに示されている」11 でした。ブライトマンは、ユダヤ人がエルサレムに帰ってきて、「ユダヤ人のキリスト教会がキリスト教世界の中心になる」と信じていました。 彼は、ダニエル書十二章二−三節と黙示録二十章十一−十五節がその結論を支持しており、これらのどちらも、「キリスト教徒となったイスラエル民族の再建」について語っている、と信じていました。12

 ピューリタンの指導的教師兼著者であるウィリアム・パーキンスも、将来ユダヤ人が大量に回心すると教えていました。同じく、リチャード・シッブズは「ユダヤ人はキリストの御旗の下にはまだ来ていないが、ヤペテをセムの天幕の中に導かれた神は、セムをヤペテの天幕の中に招きかれるだろう。」13 と述べました。エルナタン・パーは、一六二○年のローマ書注解において、異邦人は二度「完成」するだろうと述べました。一つはユダヤ人の回心に先立って完成し、もう一つはその後に完成する、と。「この世の終末はユダヤ人が回心するまで訪れないだろう。だが、ユダヤ人の回心と終末の間にどれだけの間隙があるかは誰も知らないのだ。」14

 一六四九年ピューリタン革命の最中に、後千年王国説神学者ジョン・オーウェンは、下院議院において次のように演説しました。「人々は、まことの栄光を求めて、何世代にもわたって恵みの御座の前に祈りを捧げてきました。[神は]この幾百万もの祈りに答えて、いにしえの御民をその故国に帰し、完成された異邦人と合体して一つの群れとされるでしょう。」15 かつてオーウェンの教会の会員だったサミュエル・リーは、一六七七年に出版された有名な著書 "Israel Redux" において、ユダヤ人はいつの日かパレスチナの地に帰ってくるだろうと述べています。16



信条と告白



 イギリスとスコットランドの教会の教会会議も、イスラエル問題を取り扱いました。ウェストミンスター大教理問答の第一九一問において、ユダヤ人の回心に対する希望が表明されています。第二の祈りの中で、私たちは「御国が来ますように。」と祈りますが、これはすなわち、「福音が世界中に宣べ伝えられ、ユダヤ人が呼び集められ、異邦人の救いが完成する」ことを求めているのです。同じように、ウェストミンスターの「公同礼拝規則書」では、司祭は次のことについて祈るように指示されています。「福音が宣教されること、キリストの御国がすべての国民におよぶこと、ユダヤ人が回心し、異邦人の救いが完成すること、反キリストが滅びること、主の再臨がすみやかに成就すること。」17 一六五二年に、長老派と独立派をはじめとする十八人のピューリタンの牧師と神学者のグループが、次のことを確認しました。「聖書は異邦人の二重の回心について語っている。第一の回心は、ユダヤ人の回心の前に起こる。彼らは野生種の枝であり、栽培種の枝が折られた後に真のオリーブの木に接ぎ木されたのである…。第二の回心は、ユダヤ人の回心の後に起こる。」18

 会衆教会派によるサヴォイ宣言(一六五八年)は、教会の未来の望みについて述べ、その中で、ユダヤ人の回心について触れています。

終りの日に、反キリストは滅ぼされ、ユダヤ人は召され、御子の王国に敵対する者どもが滅ぼされる。キリストの教会は、光とみ恵みによる自由で豊かな伝道を通して、拡大し、築き上げられる。その時、この世に、かつてない平穏と平和と栄光の時代が到来するのである。19


イスラエルの回心を求める祈り



 ピューリタンと長老主義の教会は、ユダヤ人が将来回心することを確信していました。そのため、彼らはパウロの預言が成就することを熱心に祈り求めました。マーレーは次のように述べています。「[大教理問答書とウェストミンスター公同礼拝規則書]が書かれる何年も前に、ユダヤ人の回心と全世界における福音の勝利を願う祈りへの求めは、すでにピューリタンの集会の特徴となっていた。」20 しかも、当時のスコットランドの長老教会では、「[聖書に]約束された(神の)いにしえの民ユダヤ人の回心が、すみやかに成就することを」祈るための特別祈祷日が制定されていました。21 ピューリタン独立派のトーマス・グッドウィンは、著書 "The Return of Prayers" の中で、望みが消え行くような時にも祈り続けるべきである、と人々を励ましています。彼は、教会が祈るべきことがらの中に「ユダヤ人の召し、神の敵の完全なる敗北、福音の発展」を含めました。グッドウィンは読者に向かって、これらの三つの祈りは「答えられるだろう」22 と断言しました。



十八世紀のアメリカ



 後千年王国論者の中の後千年王国論者であるジョナサン・エドワーズは、一七七四年に "History of Redemption" の中でキリスト教会の歴史の概略について述べています。エドワーズは、サタンの王国の滅亡にはいくつかの側面があると信じていました。それは、異端と不信仰の全滅、反キリスト(教皇)の王国の崩壊、イスラム教諸国の滅亡、そして、「ユダヤ人の不信仰」の除去でした。

しかし、頑固な[ユダヤ人]は今日まで千七百年もの間キリストを拒み続けてきた。エルサレムが崩壊してから今日まで、個人的回心をした者は極めてまれであった。しかし、その日が来れば、彼らの目を覆っていた厚いベールは取り除かれ(第二 コリント三・十六)、神のみ恵みは彼らの堅い心を溶かし、まったく新しい心に作り変えるであろう…。そしてイスラエルの家は救われるのだ。ユダヤ人は散らされたすべての場所において、己の不信仰をかなぐり捨てるのだ。彼らの心はまったく変えられ、己のかつての不信仰と頑固さを忌みきらうようになるだろう。
 彼は、「ローマ書十一章に記されたユダヤ人の民族的回心ほど明確な預言は他にはない。」23 と結論しました。



十九世紀と二十世紀の改革派学者



 十九世紀全般、及び、二十世紀に入ってからしばらくの間、後千年王国論者はこの見解を説き続けました。偉大なるプリンストン神学者チャールズ・ホッジは、ローマ十一章の中に次の預言を発見しました。「ユダヤ人が一つの国民として回復する前に、異邦人たち、つまり、異邦人世界の大部分は一体となって回心するだろう。」彼は、異邦人の完成の後に、ユダヤ民族は救われる、と述べました。「民族としてのユダヤ人は、現在拒絶されている。しかし、彼らは民族として回復するのである。彼らの拒絶は民族としての拒絶であり、それゆえ、必ずしも個人の拒絶を意味しなかった。同じように、彼らの回復も、民族的なものではあっても、必ずしもすべての個人の救いを意味するわけではない。」これは歴史の終りではなく、むしろ、「その出来事の後に多くの成就すべきことが残されているのである。しかも、この成就すべき事柄においてユダヤ人は極めて重要な使命を果たすのである。」24

 十九世紀のスコットランドの神学者ジョン・ブラウンはローマ書の注解において、次のように述べています。

使徒[パウロ]は異邦人の以前の状態と現在の状態を対比し、同時に、ユダヤ人の現在の状態と未来の状態を対比している。異邦人は過去において不従順であったが、現在は救いの恵みに浴している。ユダヤ人は現在は不従順の中にあるが、将来は救いの恵みに浴するのである。25


 なぜ神は、ユダヤ人を拒絶され、将来回復されるのでしょうか。それは、ユダヤ人も異邦人もすべての人が全的堕落の中におり、それゆえ、救いがまったくの恵みによるものであることを示すためでした。26

 南長老派神学者ロバート・L・ダブニーは、「未完成の預言」の中に「ユダヤ人のキリスト教会への一般的民族的回復(ローマ四・二五−二六)」を含めました。プリマス・ブレズレンの千年王国観を論じる中で、ダブニーは「前千年王国説はユダヤ人が集められるとの約束に同意していない」 と主張しました。彼は続いて次のように述べました。 たしかに、この見解[前千年王国説]は、「イスラエルはキリストの再臨の後(直後)に救われ、しかも、その出来事を通して救われる」と説くが、その論旨ははなはだしく一貫性を欠いている。第一、パウロは、「彼らは『異邦人の完成とともに』やって来る」と述べているが、前千年王国説はそのような完成を予期していない。第二、パウロは「彼らは『自分の台木』に接ぎ木されるであろう」と述べているが、これは目に見える教会のことを指している。しかし、前千年王国説は、キリストの再臨は目に見える教会を廃止する、と説くのである。第三、第一の復活の恐怖と、他のすべての不信者を滅ぼす普遍的火との間の、一体どこに不信仰なイスラエルは置かれるのだろうか。最後に、その図式は、「ユダヤ人は言葉の真理[伝道]によっては回心せず、外部からの破局的出来事[再臨]によって回心する」と考える点で聖書的ではない。29

 今世紀において、幾人かの指導的改革神学者はこれと同じ見解を説いてきました。"The Road to Holocaust" の最も皮肉な面の一つは、リンゼイがローマ書九−十章の解釈の一番肝心な点において、後千年王国論者でウェストミンスター神学校教授故ジョン・マーレーの意見に頼っているということです! それなのに、どうしてリンゼイは後千年王国説の潜在的「反ユダヤ性」について警告を発することができるのでしょうか。そこにははなはだしい論理の飛躍があると言わなければなりません。とにかく、マーレーはローマ十一章二六節について次のように述べました。

本章のテーマとイスラエルの回復の継続的強調を心に留めるならば、次のように結論する以外にはないのである。すなわち、「イスラエルはすべて救われる」との命題は、イスラエルが民族として完成し、受け入れられ、接ぎ木されることを通して、福音の恵みと祝福そして不信仰から信仰と悔い改めへの立ち返りにあずかることを意味する、と…。彼らの違反、損失、遺棄、断絶、頑固の規模と反比例して、イスラエルの救いは大規模なものになると考えなければならないのである。31


 多くの「ドミニオン神学者たち」はマーレーの解釈に同意しています。本章の初めの部分で、ユダヤ人の回心について説明したゲイリー・ノースの文章を引用しました。テキサス州タイラー市にあるグッド・シェパード改革監督教会の牧師であり、"That You May Prosper"の著者でもあるレイ・サットンは、マーレーのローマ十一章の解釈を引用した後で、「代表的」もしくは「契約的」イスラエル観と呼ぶ見解について説明しています。これは、イスラエルは「世界のキリストへの回心において代表の役割を演ずる」とする考え方です。サットンはさらに次のように述べます。

私は[イスラエルの未来を代表として見る見解]の支持者であって、反ユダヤ主義でもシオニストでもありません。第一、この立場によれば、イスラエルは神の計画において特別な役割を今も担っています。イスラエルは神によって大変愛されているのです。異邦人の回心においてイスラエルは独特な役割を果たします。その役割のゆえに、彼らは伝道されるべきであって、滅ぼされるべきではありません。イスラエルはアブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフの神に呼び戻されるべきであって、世界の中から除かれるべきではありません。新しいイスラエルである教会は、イスラエルを大切に扱うべきです。「キリスト殺し」の汚名を着せて苦しめるべきではありません。キリストを十字架につけたのは全世界であることを忘れないでください。キリストの頭上にはユダヤ人と異邦人の主要な言語で「ユダヤ人の王」と書かれていました。


 第二、しかし、代表的もしくは契約的見解は、民族主義ではありません。それは、政治的単位としての「民族」に魔術的な力があるとは考えません。イスラエルが民族となったことと、契約の中に入れられたこととはほとんど何の関係もないのです。事実、問題を政治化してしまうことは常に、キリストを救い主として、また(さらに重要なことですが)主として受け入れることを妨げてきたのです。32

 それゆえ、大切なのはイエス・キリストへの契約的誠実であって、政治的・人種的・文化的関係ではありません。


結論


 イスラエルの回心に対する後千年王国説の関心についてさらに多くの例を上げることができるでしょう。しかし、もうすでに幾つかの結論を導き出すのに十分な証拠はあげられました。第一、後千年王国説は、ユダヤ人が神の計画においていかなる役割も負っていないとする結論を導き出しません。歴史的に見て、ユダヤ人の大規模な回心を否定してきたのは無千年王国説でした。33

 第二、後千年王国説の立場に立つ著者たちがかくも大きな関心をユダヤ人に寄せているという事実は、彼らが「反ユダヤ主義者」でないことを示しています。「反ユダヤ主義者」の後千年王国論者がいるならば、「反ユダヤ主義者」のディスペンセーショナリストもいるかもしれません。「反ユダヤ主義」は終末論から簡単に帰結するものではないのです。

 最後に、ハル・リンゼイの「ドミニオン神学」に対する訴えは深刻に歪んでいました。彼は、後千年王国説に立つ「ドミニオン神学者」はイスラエルにいかなる立場も与えていない、とほのめかしました。しかし、彼はローマ九−十一章に関する議論の中で後千年王国論者ジョン・マーレーの文章を引用したのです。指導的な「ドミニオン神学者」がローマ十一章をイスラエルの将来の回心の証拠と考えていることについて、彼は読者に何の情報も提供していません。こういった歪みのゆえに、彼の「ドミニオン神学」に対する訴えはまったく信用に値しないのです。














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