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被害者が犯人の刑罰を決定できる

 

 オヤジ狩りにあって失明した歯科技工士の母親が言っていました。

 「犯人の目をくりぬいてやりたい。」

 

 現在の日本の法律では、犯罪の被害に遭った人は、犯人から補償をもらえるわけでもなく、また犯人の処遇について決定する権限を持っていません。

 

 松本サリン事件で被害にあった河野さんは、被害者の立場を守る法の整備が必要だといっておられました。

 

 聖書では、被害者が犯人の刑を決定する権利があります。

 

 最高刑は、被害と同じ程度の刑罰としなければならないというリミットがありますが、最高刑にするかそれともそれよりも低い刑にするかは被害者の裁量にまかされています。

 

 すなわち、「目には目を」とありますように、目をやられたら、目又は目を損傷するによってこうむる被害と同程度の金銭的物的補償を要求できます。

 しかし、被害者がそれを要求しない場合もあります。

 例えば、マリアが結婚前に妊娠したことを知ったヨセフは、姦淫の最高刑である死刑を要求しませんでした。彼は内密にマリアを去らせようとしました。このようなヨセフの態度を律法を無視してまでマリアを愛した、あわれみをかけたからだと解釈することはできません。

 

 なぜならば、「ヨセフは義人であった」と記されているからです。

 聖書において義人とは、律法を守る人のことを言います。

 

 ですから、ヨセフのこの態度はけっして律法を超えたり無視したりした態度ではなかったのです。

 

 犯罪の被害者は、犯人に対して、どのような刑罰にするか決定できるようにしないと、被害者の権利が侵され、「やられ損」になるため、不満の声が高まっていくでしょう。

 

また、聖書は、償いをしない社会は病んだ社会であるといっています。償いがなされないとその償いは累積し、ついには神がその社会を裁かれます。