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創世記から見た人生の意味





 神の創造の目的は、霊的現実を物質を通して現すことにありました。

 すなわち、神の栄光の物質的顕現こそ、この世界の存在目的なのです。

 神は、主権者として存在されますが、その権力の実行に当たっては、代行者を立てて、管理をお委ねになります。

 創造において、はじめの3日間は、舞台の製作に当てられました。(創世記1・3−13)

  第1日は、昼と夜
  第2日は、空と海
  第3日は、地と植物   (*)


 これらは、被造物の活動のための容器であり、舞台でした。これらに対して、神は、御自身で名前をつけておられます。

 そして、後の3日間は、これらの舞台において活動する者を創造されました。(14−31)

  第4日は、昼に太陽、夜に月と星
  第5日は、空に鳥、海に魚
  第6日は、地に動物と人


 神は、太陽に昼を管理させ、月と星に夜を管理させました。

 「神は、・・・大きいほうの光る物には昼をつかさどらせ、小さいほうの光る物には夜をつかさどらせた。」(16)

 そして、鳥と魚、動物を管理させるために人間を創造されました。

 「人に、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」(26)

 人間に任せたものに関しては、人間に名前をつけさせています。

 「神である主が、土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造られたとき、それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れて来られた。人が、生き物につける名は、みな、それが、その名となった。」(2・19)

 名前をつけるという行為において、支配が人間に委ねられたことが示されています。

 このように、神の世界支配の方法は、直接統治ではなく、代理者による間接統治なのです。

 ここから、人生の意味が明らかになります。人間は、神の意志にしたがって、世界を統治する責任が与えられています。だれひとりとして、偶然にこの世に生まれてきた人はいません。すべての人は、それぞれの持ち場において、神の御心を行うために創造されたのです。

 「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」(1・28)



(*)空と海と地は、人間と動物の活動の舞台であり、植物は、人間と動物が生存していくために必要なエネルギー源として創造されました。

 「わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与えた。それがあなたがたの食物となる。また、地のすべての獣、空のすべての鳥、地をはうすべてのもので、いのちの息のあるもののために、食物として、すべての緑の草を与える。」(29−30)






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