信じる人しか救わない?
(Q)信じるものは救われるとよく言いますが、信じる人しか救わないとは少々けちくさく感じるのですが如何でしょうか?
(A)上に述べさせていただきました解答にありますように、あくまでも神は人間を契約の規定に則って取り扱われるので、契約の規定に沿わない救済というものは存在しません。契約の刑罰を避ける方法として神が規定された方法は、旧約時代においては動物犠牲でした。動物の上に手をかざして自分の罪を告白し、罪が動物に転嫁したことを認め、その動物を殺します。人間の罪の刑罰は死だったので(創世記3・17)、殺すこと以外に罪の赦しは存在しません。しかし、動物犠牲は、あくまでも来るべきメシア(救済主)の身代わりの死を示す働きしかありませんでした。動物は人間の身代わりになることは不可能です。人間が完全に赦されるには、同じ人間による代償的死以外にはありません。それも、自分の無数に存在する罪を完全に購うには、神による代償的死以外にはありません。したがって、神であり同時に人間であるイエス・キリストが十字架にかかる必要があるのです。
信仰が必要なのは、信仰とは単なる口先で「信じます」ということではなく、神を契約の主として認めることを意味します。つまり、第1条件を満足することなのです。この第1条件を否定する者は、神の主権を認めないので、排除される以外にはありません。どの国家においても、その国家の主権を認めなければ排除されてしまいます。彼は市民ではなく、革命をしようとするわけですから、主権が二つ存在できない以上、排除されるのです。自分を滅ぼそうとするガン細胞に対して寛容であることができないように、主権を認めない者を許容することはできないのです。神は宇宙の創造者であり、主権者なので、この宇宙に生まれてきた以上、神を主権者として認めなければ排除されます。つまり、いわゆる「火の池」に永遠に投げ込まれるのです(黙示録21・8)。神が用意された契約の救済手段(キリストの十字架)を認めないことは、神の主権を認めていないことになりますので、その人はけっして赦されません。
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