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マタイ24章は終末預言か?Part3



(Q)やはり、24章で示されている預言は、3節のなかの問い『あなたがまたおいでになる時や、世の終わりには、どんな前兆がありますか』に対するイエスの回答と取るべきではないでしょうか。

富井兄の解釈を支持する注解者といったら、どのような人たちがいるのでしょうか。あるいはこの釈義は、post-millenialism(後千年王国説) と関係があるのでしょうか。

(A)これまでの説明で、24章の預言を終末預言と解釈することが不可能であることについて納得していただけたでしょうか。

 繰り返しになるかもしれませんが、「あなたがまたおいでになる」ことは、必ずしもキリストの再臨を意味していません。マタイ16・28では「ここに立っている人々の中には、人の子が御国とともに来るのを見るまでは、決して死を味わわない人々がいます。」とあり、キリストが「すぐに」おいでになることが示されています。聖書において、神の到来は、必ずしも最後の審判を意味しません。ある民族の道徳的罪を裁くために主は来られます。例えば、ハバクク3・3において、紀元前6世紀のカルデヤ人を裁くために「神が来られる」と述べられています。また、一つの時代が終わって新しい時代が始まる時にも裁きを行うために「主は来られる」のです。旧約時代が終わりを告げて、新約時代が到来する時に、神は、堕落した旧いシステムに審判を下すためにイスラエルにやってこられるのです。(注1)

 また、「世の終わり」も必ずしも世界の終末を意味していません。「世の終わり」の原語は、συντελειαs του αιωνοs です。「世」という言葉は、「世界」を意味するκοσμοs ではなく、「時代」を意味する αιων が使われています。つまり、ここは「世の終わり」ではなく、「時代の終わり」と訳すべきなのです。(注2)そして、イエスはまとめとして「これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。」と述べて、あくまでも終わりとは「時代の終わり」であることを強調しておられます。

この解釈をする人々は、デビッド・チルトン、ピーター・ライトハート、ゲイリー・ノース・・・など、主に後千年王国説を支持する人々です。

注1 「雲に乗って来られる」(マタイ24・30)という表現も、「主が来られる」ことを示す一つの表現です。「雲」は旧約聖書において神の乗り物であり、神の栄光を表します(「神はあなたを助けるため天に乗り、威光のうちに雲に乗られる。」申命記33・6)。とくに、マタイ24・30は、明らかにダニエル書のメシア預言を指し示しています。  

 「見よ、人の子のような方が天の雲に乗ってこられ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。」(ダニエル7・13−14)

 このことから、マタイ24・30においてイエスが述べたかったことは、「神殿の崩壊(紀元70年)の時に、わたしは、背教のイスラエルを裁き、この地上に主権を打ち立て、やがて全世界の国民の王となるだろう。」ということなのです。

注2  αιωνがκοσμοsの意味で使われることがありますが、換喩的表現としてであって、直接的な意味ではありません。




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