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後千年王国説の聖書的根拠



(Q)後千年王国説で「ついに全世界はキリストの弟子となり、それから、再臨がある」との聖書的根拠は何処にあるのでしょうか。

(A)キリストが昇天される時に、「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28・18ー19)と言われました。

 キリストは出来ないことを命令したのでしょうか。出来ないことのために弟子たちに全生涯を捧げさせたのでしょうか。そうであれば、キリストはオウムとあまり大差ない無責任な新興宗教になってしまうでしょう。もちろん、人間の力でやろうとしてもこれは無理です。しかし、ここでは、キリストはその働きの原動力を2つ述べています。  一つは、キリストの権威です。「天においても地においてもいっさいの権威」がキリストにあるのです。つまり、キリストは世界の王なのです。世界の主権者なのです。キリストは世界をすでに治めているのです。ですから、弟子たちは「こわいものなし」なのです。「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」(ローマ8・31)クリスチャンの前に敵はいません。クリスチャンと戦って勝てる相手はいません。クリスチャンは「圧倒的な勝利者」になれるのです。

 もう一つは、キリストの内在です。「世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」つまり、インマヌエルの神なのです。私たちは孤独な戦いをしているのではありません。キリストが共にいてくださるのです。そして、励まして助けてくださるのです。敵に包囲されている場合、もし補給が断たれれば、絶滅するしかありません。しかし、キリストはクリスチャンをけっして孤立させるようなことはなさいません。必ず、キリストは助けの御手を伸べて、私たちの戦いを支援してくださるのです。ですから、私たちは失望することがないのです。クリスチャンは、キリストが共にいてくださり、その助けをいただけるので、世界の勝利者になります。

   あらゆる問題の解決を天からこられるキリストの直接の業にゆだねることはできません。なぜならば、それは人間がなぜ地球上に存在するのか、という理由を無視するからです。人間は、神の栄光を、この物質世界において明らかにするために作られたのです。目に見える形で神のすばらしさを示す責任が人間にはあるのです。ですから、霊的存在である天使ではだめなのです。肉体を持つ人間こそが、その任務を果たさなければなりません。

 ですから、歴史は神の栄光の舞台であり、神の働きは人間の手を通して進むのです。「宣教の愚かさを通じて」福音は伝えられます。もしやろうと思えば、神は、突然天からやってきて、人間をひれ伏させることも可能でしょう。しかし、それは神様のやりかたではありません。人間の一つ一つの働きの中に聖霊が働き、宣教の業は進みます。  これゆえ、今日流行している終末論は、きわめていびつなものであると言えます。キリストの再臨によって、世界の問題を解決してしまおうとするのは、あたかも怠惰な科学特捜隊に似ています。科学特捜隊が怪獣をやっつけたことは(私の記憶によれば)一度もありません。しかし、彼らが偉かったのは、けっして戦いを放棄しなかったことです。毎回ピンチになるとウルトラマンが助けに来てくれれば、最初から、それを当てにして、適当になれあいの喧嘩をしていたところでしょう。しかし、彼らはいちおう頑張りました。

 しかし、今日の終末論は、その戦いも放棄してしまって、「早くウルトラマンが来ないかなあ。」と言って、指をくわえて待っているのです。「どうせおれたちは・・・」と敗北宣言をしているのです。

 聖書は、勝利への信仰を奨励しています。神は、「必ず勝つ!」と信じるものに祝福を与えます。ダビデは、大男ゴリアテを倒しました。ヨシュアは道具持ちと二人だけで何万もの軍隊を倒しました。キリストがいれば何でもできる、とパウロは宣言しました。

 全世界の国民はキリストの弟子になります。なぜならば、神が権威を持っているからであり、神が共にいてくださるからです。神は私たちと共におられ、私たちを助けて、この御国の福音を全世界に広めることを可能にしてくださるのです。






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