マリアの遺伝子
(Q)確かに、イエスは、ヨセフとの血縁関係はありません。しかし、聖母マリアと血縁関係があることは間違いないのではないでしょうか(敢えて科学主義的な言い方をすれば、マリアの卵子と聖霊との結合が、インカルナートゥスではないか?)でもって、Tom先生は、プロテスタントですから、「聖母マリアが無原罪である」とは考えておられませんよね?
何が言いたいかというと、原罪という観念を「血縁」「遺伝」「血統」と言う概念から説明することには、限界があるのではないかと言うことです(「統一協会」は、これらの概念で「原罪」を説明して、純真無垢な青年を洗脳しているわけでして……。)
(A)残念ながら、私には、マリアの卵子と聖霊との結合があったとは思えないのです。あくまでも聖霊がまったく新しい受精卵を創造され、それをマリアの胎内に着床させたと考えます。つまり、マリアの遺伝子が半分入った受精卵ではなく、完全に新しい創造であったと考えるのです。マリアが無原罪であったら、そのマリアを生んだ両親も原罪を持っていてはいけないのですから、さかのぼってマリアの先祖はアダムではなかったということになります。アダムとは別の人類が作られていなければなりません。
もちろん、これは、私が遺伝ということを、原罪について考える基礎としているからです。プロテスタントでも、遺伝に基づく考えと転嫁に基づく考えと分かれているわけですが、私は遺伝が原罪の引継において基礎であると考えています。
なぜならば、もし遺伝が基礎でなければ、なぜ、わざわざ処女降誕という手段をとってキリストが誕生されたのか、という疑問が残るからです。遺伝によって原罪が引き継がれるのでなければ、ヨセフとマリアの通常の生殖によってイエス・キリストが誕生してもよかったわけです。「普通の生まれ方をしたが、やはり、神がその受精卵を原罪の影響をまったく受けないものにされた」という説明が聖書に記されてしかるべきでしょう。しかし、神は、マリアが処女であった時にキリストの胚を子宮に宿らせたということがわざわざ預言され、そのとおりになったことを聖書に明記されているのです。このことに重大な意味があるだろうと容易に推察できるのです。
キリストの誕生は、ヨセフとマリアの結婚関係の中で行われました。ユダヤの婚約は、今日の婚約とは異なり、あくまでも結婚関係にあると認識されていました。同居の前に1年間の別居が前提となっていました。つまり、神が立てられた結婚の制度が重んじられているのです。しかし、「まだ同居する前に」と断り書きがわざわざ記されているのです。
ここまで入念な設定がされているのに、処女懐胎に意味がないとは考えられません。マリアの遺伝子が半分入っているならば、このような複雑な設定ではなく、ヨセフとマリアの同居後に誕生してもよいのではないでしょうか。
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