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イエス・キリストは今肉体を持っているか?



(Q)以前の先生の掲示で「イエス=キリストは肉体のまま天に挙げられた。そしてイエスは、天に挙げられた後も肉体を保ったまま天で待機している」というのがありました。

私は、この掲示を見たとき「ええ〜!」と思ったのですが、肉体を保ったまま生存するためには、ご飯を食べたり空気を吸ったりウンコをしたりしないといけないと思いますが、肉体を保ったまま天に挙げられたイエスさまも同様なのでしょうか?

(A)イエス・キリストが肉体を取られて誕生し、そして死から復活して新しい霊的な肉体を与えられたというのは、キリスト教の根本的な教理ですが、昇天された後にそれを捨てられたという箇所はどこにもありません。そして、それを捨てて霊的な存在に戻ることは、キリストが完全な人間であり、完全な神であるという二性一人格の教理に反することになると思います。キリストの御業とは、人間の代わりに律法を守り、その功績によって永遠の生命を獲得し、人間の代わりに刑罰を受けることによって、人間の罪責を取り除いて、神の前に義となることであったはずです。キリストにつながるものは、すべて彼の功徳と彼の贖罪の恩恵にあずかることができるのです。それゆえ、キリストはどうしても人間でなければならないのです。人間以外のものが人間の代わりに罪を負うことも、人間の代わりに神の前に義とされることもないのです。

 アダムは神の御前で律法を守って神の試験に合格しなければなりませんでしたが、残念ながら合格できませんでした。人間という一族の主であったアダムの失敗によってアダムから生まれるすべての人もその失敗の責任を背負うことになりました。「一人の人によって死が入った」のです。我々はみな、契約の主であるアダムの失敗を背負って生まれてきます。我々は生まれながらに失敗者なのです。ですから、この腐れ縁を断ち切るためには、新しい契約の主につながらなければならないのです。キリストは処女降誕によって、アダムの肉体を受け継いでいません。聖霊によって、アダムと無縁の新しい肉体を与えられました。この新しい人類の頭として、キリストは、すべての律法を守り、完全に神の試験に合格したのです。ですから、キリストにつながるものはみな、キリストとともに合格者とみなされるのです。また、キリストは人間の罪責を背負って十字架につき、人間が受けるべき神の刑罰をすべて受けました。それによって、キリストにつながる者の罪責をすべて取り除くことができるのです。ですから、クリスチャンは神の御前で、無罪の宣告を受けることができるのです。

 どのようにしたら、我々は新しい人類に加わることができるのでしょうか。それは、信仰です。キリストを自分の救い主として信じる信仰によって、我々は新人類の一員とみなされるのです。信仰を持った瞬間に我々は神の御前で罪なき者とみなされ、完全な者とみなされるのです。これは法的な問題であって、実際的な問題ではありません。つまり、クリスチャンはけっして実際的には完全な者ではないのです。しかし、完全な者になる約束があります。それは、新しい肉体を与えられる時に実現します。つまり、復活する時にクリスチャンは完全な者となるのです。キリストの再臨があり、万人が神の裁きの御座の前に立ってそのすべての行いにおうじて裁きを受けるときに、クリスチャンには完全な肉体が与えられ、完全な救いが与えられるのです。

 キリストの復活は、このクリスチャンの復活の初穂として実現したのです。クリスチャンは自分の体がよみがえって完全になることをこのことから知ることができるのです。  ですから、キリストは新しい人類の頭として現在も肉体を持っているのです。肉体を持たない存在が肉体を持つ人間の頭になることはありえないからです。

 さて、ではキリストの実際生活はどのようなものなのでしょうか。それは、聖書に記されていないので、判りませんが、新しい肉体は現在我々が持っている肉体とは異なることは明らかです。それでも、復活したイエスが魚を食べたことから、食事をすることはあるでしょう。食事をするということは排泄もすることでしょう。しかし、私は具体的にどのような生活をキリストがなさっているのかわかりません。復活した体において結婚はありません。なぜならば、神の国の人数は完全に固定されているからです。増えるということが必要ないと考えられます。それ以外のことは謎というしかないでしょう。しかし、このようなことについては神に対して信頼する以外に道はないのではないかと思います。その時になれば、すべてのことはわかるようになるでしょう。




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