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キリストの復活の肉体



(Q)まず復活されたキリストの肉体は、人知では計り知れないような新しい肉体でしょう。

(A)もちろん、人知でははかり知れないものではありますが、キリスト御自身が明らかにされたところによれば、弟子たちの前で食事をされたということです。この意味でキリストは霊だけではなく、肉体ももっており、それは我々の回りの物質と何らかの関係が存在することを示しておられるのではないかと考えるのです。

(Q)富井健さんが、イエスはアダムの肉体を持っていなかったと理解されているようですが、それでは「真の人」ではなかったことですか。ドケティズムに陥らないためにも、そして原罪の一度限り(ヘブル書)の救済事業である身代わりの死を聖書的に把握するためにも、どうしても vere homo の教説が必要となってくるのではないでしょうか。

(A)アダムの肉体を持っているならば、キリストはアダムの末ということになってしまいます。アダムの血縁であってはならないからこそ処女降誕があったはずです。  キリストは、聖霊によって新しい肉体を与えられたのです。それは、アダムとは血縁関係がありませんが、アダムと同じようにやはり正真正銘の人間なのです。  神は新しい創造をマリアの胎内において行われたと見なければ、キリストも原罪を背負うことになりませんか。

(Q)伝道とは、栄光の体を既に持っておられるキリストが、聖霊において御言葉をもって人間に福音を語ることだという認識に立つとき、キリストのubiquity(遍在)についても言及しねれななりません(これは聖餐についても同様です)。

(A)キリストの遍在については、キリストは聖霊において遍在されているのであって、肉体においては一定の空間の中におられると理解しなければならないと思います。もちろん、聖餐におけるキリストの臨在、教会がキリストの体であること、など語らなければならないことはいろいろあるとは思いますが、質問がキリストの物理的肉体に関することであったのであのような内容になりました。




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