環境決定論の誤り
(Q) 「スラムはスラムに住む人々にとってふさわしい所である」というラッシュドゥーニーの言葉にキリストの愛を感じられません。
(A)スラム問題の解決は、彼らにきれいな住居を与えれば解決すると考えた60年代のアメリカ政府の政策は失敗しました。なぜならば、スラムの住民はすぐにそのアパートを汚し、まともに住めない状態にしてしまったからです。それで、ラッシュドゥーニーは、スラムの住民の心が変わらない限り、どんなに環境を整えても、彼らはそれを自分にふさわしい状態に変えてしまう、と述べたのです。けっして、スラムに住む人々を軽侮したわけではありません。
問題は倫理的である、環境ではない、というのが彼及び聖書の一貫した主張であり、本稿においても、それ以上に出ていません。アダムは、「私が悪いのではありません。あなたが与えたこの女が・・・。」エバは、「この蛇が・・・」という具合に、人間の傾向として、問題の焦点を自分の罪に当てるのではなく、環境に当てるのが、我々の祖先からの定まったやり方だったと理解します。
貧困の真の原因は、環境にではなく、思想に存在すると思います。
なぜ同じ民族なのに、東ドイツと西ドイツに経済的な格差ができたのか。また、北朝鮮と韓国の間の経済格差、西側と東側の差、・・・このような人類の実験から、何かが得られたのでしょう。個人のイニシアチブを奨励するのと、国家の計画によって経済を運営するのは、どちらに軍配が上がったのか・・・。
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