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悪者をねたむな



(Q)ここに来てまさに必要となるのは、歴史における先達の知恵に学びつつ、聖書の示す規範と福音の賜物である霊的自由を、ひとりでも多くの日本人に伝えることだと思います。

(A)まさに、おっしゃるとおりだと思います。抑制の恵みは、あくまでも、神に対してまだ無知のゆえに罪を犯していたり、弱さを自覚しつつ神への悔い改めの中に生きている人々や国民に対して与えられる恩恵であって、もし人や国民があえて神に逆らい、神の律法にしたがわなければ、神はその人々や国民を罪の中に放置されるのです。これがローマ1章にあるように、「神は彼らをよくない思いに引き渡し」と言われる「神の遺棄」なのです。その後に、「彼らは男同士で情欲に燃え」とあり、ホモセクシュアルとは、あくまでも神に逆らい続ける人々に対する刑罰であるということが言われています。

 まだ社会が謙遜な時は、神はそれほど大きな罪の中に放置されるようなことはありません。しかし、社会が傲慢になって、キリストの福音を拒否し続けると、神は彼らを「はずべき」行為に引き渡し(=投げ捨て)、その結果社会全体がホモセクシュアルや汚れた情欲に溢れることになるのです。

 現在の日本も世界も、同性愛が顕著になってきました。これは、文明の末期的症状です。神が日本をそして世界を裁きに引き渡そうとされていることを感じます。

 しかし、これが世界の終末であると軽々に判断すべきではないと思います。というのは、このような末期的症状は過去歴史において幾度も見られた現象だからです。神は、不信仰な人々を呪い、最終的に病気(エイズなど)や戦争や天災や人災によって、地上から除くことによって、地を聖め、神の義を明らかにされます。そして、神の命令に従う人々を「残りの民」として残し、彼らに「地を継がせる」のです。この型はノアの洪水です。ノアは罪の世界の中で正しく歩み、それゆえに、地を継ぐ者とされました。  神の御計画は、あくまでも、地球を正しい者に継がせることであり、力ではなく、倫理が地上における生存の秘訣であることを示されることでしょう。今日のように悪がはびこっている時に私たちは、「悪者をねたむ」という誘惑にかられるのですが、「神はあなどられる方ではありません。人は種を蒔けば、刈り取りもすることにな」るのです。悪者が栄えているのは「一時的」です。彼らはすぐに消えていくと述べられています。



主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。おのれの道の栄える者に対して、悪意を遂げようとする人に対して、腹を立てるな。・・・悪を行う者は断ち切られる。しかし、主を待ち望む者、彼らは地を受け継ごう。(詩篇37・7ー8)




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