宗教は人間のためにある?
オウム真理教が国家に対する反逆を企てて武装化していたことを知って、評論家たちは「なぜ宗教団体がこのようなことを?」と言いますが、そもそも、宗教とは『主権の主張』なのであって、本質的に権力を取ることを志向するものなのです。つまり、自分が信じている神様は絶対である、だからすべての人はこの神様に服従すべきであると主張するのが宗教なのです。もしそのように主張しないのであれば、それは御利益宗教であって、本当の宗教とは言えません(私はけっしてオウム真理教を擁護しようとか、武力による国家転覆を主張しているのではありません)。自分の神様のために生命をかけるのが本当の信者であり、そのように要求するのでない神は絶対者ではありません。あらゆるものの上に主権を持つということは、あらゆるものに対して「私以上にだれをも愛してはならない」と主張することです。神様と自分の利益とがぶつかるときに、神様を引っ込めているのは、本質的に自己を神としているのであって、神を崇めていることにはなりません。それは「ワタシ教」なのです。絶対者は、万物の上に完全な主権を持つことを主張します。それが、絶対者にとってふさわしいことなのです。そして、絶対者を崇拝する行為とは、その全生涯をかけて絶対者に主権を与えるために働くことなのです。
マスコミで、ある人が「宗教とは自分の心を平安にするために信じるものだ」と言いましたが、そのような宗教は宗教ではありません。単なるワガママなのです。
アダムにおいて、人間は自分が神だと錯覚するようになりました。したがって、人間は本性のうちに自分を崇拝することを望んでいます。ですから、絶対なるヤーウェの神様さえも、自分の安心立命のために利用しようとするのです。自分の救い、自分の平安、自分の結婚、自分の就職・・・このようなものが信仰の中心にあるならば、そして、このようなものによって人々を獲得しようとするならば、そのような宗教は宗教ではないのです。このような信仰は冒涜であり、自分の利益のためならば、平気で神の御言葉の内容を変えたり、非聖書的な首尾一貫しない教義を唱えたりできるのです。聖書の教えと主張されるもので、神の絶対主権に反するものは、すべて誤りです。
キリストが「わたしが命じたすべてのことを守るように教えなさい」と命じられたのは、実は神の絶対主権の主張なのです。人間的な力によるのではなく、神の聖霊の力によって伝道し、キリストの命令を守る人をコツコツと増やしていくことが弟子化の意味です。このようにして、神の主権は人間の伝道と仕事を通して確立されて世界中に広まります。世界はキリストのものになります。ヨーロッパがキリスト教化され、ヨーロッパ人が世界に出ていって世界の文化に影響を与えていきました。数多くの国々において、一夫一婦制が導入され、民主主義や自由経済や、科学技術や、法治主義、独占禁止など、様々な制度が導入されました。
これは、もちろん、罪人のやることですから、悪いことや間違った行為も含んでいましたが、このような世界の変革は概して「神の御国の発展」であったと言うことができます。世界の歴史は、キリストの栄光へ向けて前進しているのです。世界史の意味は、キリストの救いと、キリストに救われた人々が世界を神のために奪回し、神の絶対主権を確立することにあります。
しかし、現代の思潮は、ヒューマニズム(人間中心主義)です。つまり、人間を神とする教えにクリスチャンまでもが毒されているのです。ヒューマニズムは悪魔の教えです。なぜならば、サタンはアダムに「あなたも神のようになれるよ」と誘惑したからです。自分で何が善で何が悪であるかを決定することはサタンの誘惑でした。人間には、善悪を決定する権威が与えられていません。神が善であると言ったものが善であり、神が悪であると言ったものが悪なのです。自分勝手に善悪の基準を作ることは、神の主権の侵害であり、神に対する戦争行為であって、神はそのような人や団体を決して見過ごしにはなさいません。その人や団体は必ず神の相続を失います。
どの国家でも、国家反逆罪はもっとも刑罰が重いのです。国家の枠組みを認め、その範囲内で犯される罪は、国家にとって致命的な罪ではありません。それは許容可能な罪です。しかし、国家自体を破壊してしまおうとする行為は絶対に許されないのです。私たちも自分の体を破壊しようとするガン細胞に対して寛容であれば生命を失います。自分を破壊しようとするものは排除すべきであって、許容していてはいけないのです。ですから、神様も御自身の主権を脅かすものを最終的に排除されます。地獄はそのための場所なのです。神の他に異なる神を据える者や神の律法を不要であるとする者は、人間の自分勝手な神や法を認めるので、神の主権を侵害しているのであり、神は絶対にこのような者を許しません。彼らは悔い改めなければ、滅ぼされます。
地の王たちは・・・主と、主に油をそそがれた者とに逆らう。・・・あなたは鉄の杖で彼らを打ち砕き、焼き物の器のように粉々にする。(詩2・2ー9)
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