男性の女性化
神は男性と女性の役割分担をはっきりお決めになりました。男性はドミニオン(支配)のために造られました。つまり、「地を従えよ。」との命令は男性に与えられたのです。だから、男性は本性として、支配したり、自己の領土、権力、名声などを拡大することに関心を持ちます。自分の仕事を通して男性は世界を見るように造られているのです。そして、女性はその働きを助けることによって神に奉仕するように造られています。アダムが創造されたときに、エバは helpmeet として造られたのです。このことは、けっして女性が男性よりも本質において劣っていることを意味しません。つまり、持ち場が違うのです。また、女性の中に男性のような働きをする人がまったくいないと言っているのでもありません。神の創造は、個々の事柄において多様性があります。しかし、総じて見れば男性は支配・管理・社会・戦闘において召されており、女性は補佐・家庭・愛育において召されているのです。
しかし、現代のキリスト教神学はこの「支配」の原理を忘れてしまいました。つまり、現実の世界について極めて逃避的なのです。それはまったく誤った終末論に起因しています。神ではなく、サタンがこの世の支配者であると考え、未来においてサタンが勝利するという教えは、まったくサタン的であると言わなければなりません。
「この世にかかわずらうな。この世はサタンの世であり、クリスチャンの使命はこの世から出来る限り多くの人々を救い出すことである。」との教えが講壇から語られています。これは、この世において労働しているクリスチャンの働きを無にする教えであり、男性の持っている支配や統治(ドミニオン)の本性への反逆です。
聖書はなんと言っているでしょうか。神は私たちにそれぞれタラントをお与えになり、「これで商売しなさい」と言われました。つまり、私たちには様々なもの(財産・才能・健康・家庭等)が与えられていますが、それは、神のためにそれらを用いて奉仕するためであり、チャレンジを重ねてその働きを拡大し、神の栄光をまし加えるためです。この世において、神がいかに素晴らしいお方であるか、示すために与えられたのです。悪い下僕とはどのような者でしょうか。それは、自分に与えられたタラントを土の中に入れておき、それを用いず、チャレンジせず、オタクになってブルブルふるえながら、神の裁きを待つ者です。神はクリスチャンに、ドミニオン・マンになりなさい、と仰っています。つまり、神の力を信じて、果敢に挑戦し、自分の財産・才能・能力を総動員して、神の栄光のために働くのです。それは、ただ伝道の働きではありません。自分の持ち場において、「神に対するようにまごころから」働くのです。それが営業マンであっても、経理であっても、台所においても、いかなる労働も、神から与えられたタラントを生かす場所です。このことにおいて、神によりよくお仕えすることができる者に、褒美が与えられるのです。
今日の男性の女性化傾向は、間違った思想に起因しています。このことに気づいて早い処置をとらないと、キリスト教は次世代を失います。
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