i・MODE→  

近づきつつある世界の祝福





この地球は、神とサタンとの決戦の場です。神もサタンも共に人間を通して戦っています。しかし、第一に確認しなければならないのは、サタンは神の支配下にあるということです。キリスト教はけっして、ゾロアスター教やマニ教のように善悪の永遠の戦いを教えていません。キリスト教は、「神は歴史を通して、サタンに勝利していく」という歴史観を教えています。サタンが活動できるのも、神の許しの範囲内です。ヨブ記に次のような記事があります。

「ある日、神の子らが主の前に来て立ったとき、サタンも来てその中にいた。・・・主はサタンに仰せられた。『おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが。』サタンは主に答えて言った。『ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。』主は、サタンに仰せられた。『では、彼のすべての持ち物をおまえの手に任せよう。ただ、彼の身に手を伸ばしてはならない。』そこでサタンは主の前から出て行った。」(1・7−12)

 ここからも、サタンが神の許しのもとにしか行動できないことが分かります。ですから、勝利はすでに約束されているのです。神は、必ずサタンに勝利して、この地上を神の国と変えてくださいます。

 ですから、イエスは弟子たちに次のように祈るように命じました。



あなたのお名前があがめられますように。御国が来ますように。御心が天で行われるように、<地上でも>行われますように。

 そして、昇天される時に、弟子たちに向かって、「全世界に出ていってすべての国民を弟子とせよ。」と命じられました。

このように、世界中の多くの人々が、キリストを救い主として信じる時が必ずやってきます。

そのときに、世界は罪の呪いから解放されるのです。

(1)この世から戦争がなくなります。

 「彼らはその剣を鍬に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。」(ミカ4・3)

(2)動物の性質が変わります。

 「狼は子羊と共に宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子供がこれを追っていく。」(イザヤ11・6)

(3)神を知る知識がいたるところに溢れるようになります。

「そのようにして、人々はもはや、『主を知れ』と言って、おのおの互いに教えない。それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、

わたしを知るからだ。」(エレミヤ31・34)

(4)人の寿命が延びます。

「そこにはもう、数日しか生きない乳飲み子も、寿命の満ちない老人もない。百歳で死ぬ者は若かったとされ、百歳にならないで死ぬ者は、のろわれた者とされる。」(イザヤ65・20)

 このような祝福の時代は、ユダヤ人の回復と共にやってきます。

 今はユダヤ人はキリストに反対していますが、遠くない将来に大量に回心します。彼らの回復は、世界の回復を一層押し進めることになります。

 もし彼らの違反が世界の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるのなら、彼らの完成は、それ以上の、どんなにかすばらしいものを、もたらすことでしょう。(ローマ11・12)

 実際に、第二次大戦後、ユダヤ人が大量に祖国パレスチナに帰国していること、そして、かれらが現在ロシアにおいて、アメリカにおいて、全世界において、大量にクリスチャンになっていることからも時が近いことが分かります。 

 アブラハムからイエスまで、神は二千年の間ユダヤ人に救いを開き、イエスから今日まで二千年の間異邦人に救いを開いてこられました。そして、異邦人の救いが完成する時に、ユダヤ人に再び救いの道が開かれるのです。イエスは次のような預言をされました。

人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。(ルカ21・24)

 これは、紀元七〇年のユダヤ戦争を指しています。ローマ軍がやってきて、ユダヤ人をパレスチナの地から追い出してしまいました。しかし、異邦人の時代が終わる頃に、彼らは再びエルサレムを奪回するのです。これは、一九六七年に中東戦争において成就しました。エルサレムは千九百年ぶりにユダヤ人の手に戻ったのです。ただし、神殿のあった場所は現在でもまだアラブの管轄の下にあります。しかし、いずれこの場所もユダヤ人の手に戻るでしょう。そして、エルサレムは異邦人に踏み荒らされる状態から「完全に」解放されるのです。このことは、何を意味しているのでしょうか。これは、ユダヤ人に神の祝福が戻ることの象徴なのです。都エルサレムの破壊がユダヤ人が神から捨てられたことを象徴したように、その回復は彼らが再び神のあわれみの下に入ることを象徴しているのです。

 そのとき、彼らは、今までメシアと認めなかったイエスを主として迎えるようになります。つまり、ユダヤ人がクリスチャンになるのです。

 このことは教会にとって、画期的な出来事となります。というのは、神の御計画において、ユダヤ人は諸国民の長子であり、異邦人にとって兄貴分でした。しかし、肝心の兄貴が今まで家出して不在だったのです。しかし、兄貴が帰ってきました。そして、神の家族が全員そろうことになるのです。つまり、異邦人とユダヤ人が共に神を礼拝することによって、教会が完成するのです!しかし、このことはまだほんの始まりに過ぎません。その後に、驚くべき大量の回心が全世界で起こることになります。神の祝福は全世界に及びます。

 もちろん、これは突然になされるものではなく、諸国の民が神の律法を受け入れて、教会がキリストの義において成長する中で実現していくことです。ですから、地道な伝道と教育の中で行われることを忘れてはなりません。

 (しかし、現在よりもサタンの妨害は著しく弱められるので、はるかに伝道しやすい状態になるでしょう。)




ホームページへ