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神を試すということについて





 神を試すこと、神の御名をみだりに唱えることの中心にある心は、自己中心です。神を自分のために利用する利己心から出た祈りや、行為が、神を試すことなのです。つまり、これは、キリスト教とは名ばかりの、本質において「偶像礼拝」的行為です。聖書において、神は「あらゆることを神を力を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くして愛する」という動機によらない行為を偽善とか、偶像礼拝と呼んでいます。

 しかし、自分が神から人生を与えられたと自覚し、「神のために」そのつとめを果たそうとするならば、神の指示にしたがって行動することはけっして神を試したことにはなりません。むしろ、神はそのことを望んでおられるのです。神が望まれているのは、神の法を守って神の支配を拡大することです。




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