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法の役割について





 法の役割は、けっして人を更正することではありません。人を変えることのために用いる時に、法は人を殺すようになります。ある理想を描いて人間をあるべき姿に変えようとする野望は、ソ連や中国やカンボジアなどにおいて無数のいのちを奪いました。ヒューマニズムの基本は、「法による救済」です。しかし、「法は人を救えません。」聖書は、「法による救済」をパリサイ主義と呼んでいます。当時の宗教指導者であったパリサイ人は、人間は行為によって救われると考え、自分たちのように法を守れない人々を見下していました。しかし、イエスは、人は信仰のみによって救われると説きました。人間の肉体には罪の原理が作用していると聖書は述べています。つまり、下へ下へと向かう原理が働いているのです。ですから、律法を示されると、かえって罪の欲望が働いて人間を堕落させてしまう、と書かれています(ローマ8章)。人間を救うことができるのは、罪の原理に打ち勝つ聖霊の力です。信じる時に、人間には神の聖霊が与えられます。聖霊は徐々に人を内側から聖化するのです。聖書において、救済の原理はもっぱら神の力におかれています。人間は、全的に堕落しており、自分で自分を救えない、だから法を示されることは死を意味すると述べられています。肉体という死につつあるものの中に聖霊といういのちが入るのでなければ、法は人間にとって偽善と絶望の種でしかないのです。この点を間違うと、キリスト教は、第二のソ連を生み出すでしょう。








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