法治主義
今日の政治的・社会的閉塞感の原因を、多くの人々は宗教の問題まで掘り下げません。今日の問題は、根が深いのです。つまり、近代社会の前提とされてきたのは、世界は人間のために存在し、人間の幸福を追求することは万人の権利であるとのヒューマニズム(人間中心主義)でした。この新興宗教が誤りであることが明らかになったのが、ロシア革命の挫折であり、今日の世界の政府・経済・文化の閉塞状況です。世界は、誰のために存在するのか、この問いかけをすることなしに効果的な伝道はできません。クリスチャンは敵側の土俵で相撲をとるのではなく、あくまでも聖書の前提にたって、大胆にこちら側の主張をぶつけていく必要があります。
近代国家は、人間を神とし、人間の幸福のために存在するとの前提でできあがっています。しかし、人間中心であるということは、人間の恣意性を受け入れることを意味します。つまり、神の意見ではなく、人間が自分のために自分で作り上げた価値観を受け入れていこうということをしていくと、どうしても、特定の人間のわがままが入ってしまいます。人間の性質が善であり、常に万人及び個人のことを考えて何事も行うのであれば問題はないのですが、あいにく、人間は堕落しており、極めて利己的です。とすると、自分の利益のために政権を作り、利権を自分のもとに集めるようなシステムを作って自分だけが繁栄するように企むものが出てくる。この、人間の堕落性を考慮に入れない政治体制は早晩瓦解します。ソ連や社会主義国の実験がこのことを如実に物語っています。
法治主義は、このような人間のわがままをいかに抑制していき、万人に平等な機会を与えるか、という問いかけから起こりました。ラザフォードは、「法は王」という本を書き、法は王をも支配すべきだ、と説きました。つまり、人間の堕落した心がトップに立つのではなく、神の法がトップに立って、万人がそれに従うようにすべきだと説いたのです。人間が本当に自由になるためには、人間の恣意の影響をできるだけ受けない体制を作る必要があります。しかし、ヒューマニズムは、このような恣意性を排除する原理をもっていません。なぜならば、それは、人間を超越した偏りのない神の意見を無視するからです。人間から出発して、人間に帰っていく思想は、人間を批判できません。
ラッシュドゥーニーは極めてするどい指摘をしています。この世には、有神論的宗教か、政治的宗教しか存在しない、と。つまり、キリスト教か、それとも、政治的支配に役立つために作られた人造宗教の二つしかないのです。祖先崇拝は、家の制度の存続のために必要な宗教です。ですから、家制度が廃れている現在、次第にお墓参りをする人々は減ってきています。人間が作った思想は、ある特定の社会の要請がなくなると不要になって捨てられてしまうのです。それは、すべての偶像宗教が人間の欲望から生まれているからです。このような、人間中心の宗教を信じることは、自分からすすんで「私は強い人の奴隷になりたい」と言っているようなものです。自分の都合のよい神様を信じることを自ら選択し、また、他の人々にもその選択を許す人(相対主義者)は、人間を超越した法による支配を拒むのですから、自分の人生が、ある強者のわがままによって翻弄されても文句は言えないのです。強い者が弱い者を徴兵し、無理矢理外国へ連れていって原住民を殺させることがあっても仕方ないのです。
かつて、イスラエルの民は、神による直接統治を嫌って、王を求めました。そのとき、神は、預言者サムエルを通して次のように言われました。「今、彼らの声を聞け。ただし、彼らにきびしく警告し、彼らを治める王の権利を彼らに知らせよ。・・・あなたがたを治める王の権利はこうだ。王はあなたがたの息子をとり、彼らを自分の戦車や馬に乗せ、自分の戦車の前を走らせる。・・・あなたがたの娘を取り、香料作りとし、料理女とし、パン焼き女とする。あなたがたの畑や、ぶどう畑や、オリーブ畑の良い所を取り上げて、自分の家来に与える。・・・」(第1サムエル八・九−十四)偶像を礼拝する者は、偶像に支配され、そして、最後に偶像に裏切られます。しかし、実は、偶像を礼拝する人々は、自分が奴隷であることのほうを喜んでいます。
日本人の根元的問題は、このような偶像崇拝にあります。日本人には超越者がいなかったため、社会が究極の救い主になりました。それゆえ、日本人は社会に対する依存心から脱却できないでいるのです。流行や、過度の受験競争、恥の文化、等、からいつまでたっても抜け出せないのは、このような依存心が原因です。かつて、学区制をしいて、受験競争の加熱化を解消しようと東京都などが行いましたが、結局、私立高校のレベルをあげ、都立高校のレベルを下げただけでした。日本人の「人間を神とする」依存的信仰が解決されない限り、これからも日本人はレミングの集団自殺を繰り返すでしょう。
唯一の解決は、人間を超越した神に依存する以外にはありません。神に頼り、人間を恐れないことが本当の自立の第一歩であり、これ以外に、日本人の諸問題の解決方法はありません。
ホームページへ