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神様って、もう必要ない?



(Q)思うのですが、神様って、もう必要がないのではないでしょうか?日本は無神論の(っみたいな)人が6、70%もいるのに治安も良いし、みんな親切ですよね。

(A)現在の状態を見て、あるものが必要で、あるものが不要であると考えると、歴史や思想や学問を学ぶ必要はなくなると思います。現在の日本がこのように平和だから、軍備はいらない、と考えることはできないでしょう。いつどこかの国が侵略してくるとも限りません。

 現在の平和や繁栄がどのようにして可能になったのか、過去の歴史を学んで、それを教訓として、失敗を繰り返さないようにするのが、人間の知恵ではないかと思うのです。現在私たちが享受している自由や平和は、過去の日本だけではなく世界の様々な人々が血を流して獲得してきた貴重な遺産によるところがほとんどなのです。第2次世界大戦による大きな犠牲がなければ、人々は現在のように平和を大切にしていたでしょうか。あの戦争においてもし勝っていたら、日本はさらに軍事大国化し、悲惨な侵略戦争を続けていたでしょう。

 また、現在、無神論者が6、70パーセントもいるのに治安がよいし、親切であるから、神はいらないといわれますが、現在の日本の警察をはじめ様々な組織は、欧米から学んで作ったものがほとんどなのです。欧米の国々ではどのようにしてそのような制度ができたのかといえば、国王の絶対的権力との戦いにおいて市民的自由を獲得し、それを恒久的制度としてまとめあげるという努力から生まれたのです。そして、その市民的自由の獲得の大きな部分を占めていたのは、国家や教会が主権者ではなく、神が主権者で、その神の法の下に、キリスト者が宗教的自由を獲得するという戦いだったのです。日本の法律の源流をたどれば、16世紀から18世紀にいたる宗教改革から市民革命に至る流れに行き着くでしょう。

 それから、日本人が親切であるというのも、たしかに、親切には違いないし、日本人が民族として持っている勤勉さ、実直さなど、神と関係ないではないか、と言えるかもしれません。しかし、プロテスタントのキリスト教が19世紀に入るまで日本においても人身御供が行われていたこと、神社では神殿娼婦がいたこと、残虐刑が広く行われていたこと、などを考えますと、日本人の精神世界においてキリスト教が果たした役割を見逃すことはけっしてできないように思われます。内村鑑三をはじめ指導的キリスト者が明治の知識人に与えた影響は絶大なものがありました。

 そして、キリスト教を学ぶ前の日本はやはり後進国でした。明治政府から派遣された使節団がヨーロッパにおいて発見したのは、ヨーロッパの優秀性はキリスト教にある、ということでした。そこで、ヨーロッパに追いつけ追い越せという国家的目的が今日まで続いているのですが、それにもかかわらず、日本人は、和魂洋才といって、技術の獲得だけに目を向けて、それを形づくった精神文化には目を向けなかったのです。

 神がイスラエルに対して与えた約束「もしあなたがたがこの戒めを守るなら、回りの民族は、『これは知恵のある民族だ』と言うであろう。」は、神の法を守る国民すべてについて言えるのです。日本はヨーロッパを見たときに、このことを告白せざるを得なかったのです。




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