神は、地球という舞台を作られ、その上に人間を置かれました。それは、この地球を御心にしたがって治めさせ、目に見える形で神の栄光を表させるためでした。神はクリスチャンの伝道のわざを通して、また、職業・家庭・文化等を通して、回復の御業を行っておられます。この御業をとどめるものはだれもいません。それは、神御自身がこう約束されているからです。「世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか」(ヨハネ第一五・五)。
国家・政治・軍隊・会社・宗教いかなる分野であれ、自分たちが敗北するという信念を持って活動する団体は必ず敗北します。なぜならば、それは自殺的だからです。今日クリスチャンから力を奪い、教会から生命を奪っているのは、この自殺的信念です。「どんなにクリスチャンが頑張ってもサタンの力には勝てず、これから教会は力を失って、反キリストの天下がやってくる」とするのは、神の力を疑う冒涜の罪であり、荒野において滅ぼされた人々が信じていた「現実主義」なのです。神はクリスチャンに「現実主義」ではなく信仰を求めておられます。それは、目に見えるものによらず、信仰の目をもって神の約束と力を信じることです。神が私たち人間を造られた目的が、「生めよ、増えよ、地を満たせ。地を従えよ。」(創世記三・十八)であるならば、私たちはそのことが可能であると信じなければなりません。キリストは昇天される時に、このように言われました。「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい」(マタイ二八・十九\二十)。全世界をキリストの弟子とする働きは、キリストの突然の再臨によって行われるのではなく、神の右に座しておられるキリストの権威により、聖霊の力によってクリスチャン自身が成し遂げるべきわざなのです。「神はあなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます」(ローマ十六・二十)。
福音宣教によって、これまでサタンの支配は大きく揺らいできました。はじめはたった十数人のクリスチャンが、聖霊を受けて神の力によって奇跡の歴史を作ってきました。世界を包み込んだのは、仏教文明ではなく、ヒンズー教文明でも、イスラム教文明でもありませんでした。それは、キリスト教文明だったのです。1 世界各地にはびこっていた人身御供の風習は、キリスト教が入ることによって廃止されていきました。神の福音の力は、世界を正の方向へ変えてきました。
神は私たちを用いようとされています。私たちに与えられた使命は極めて大きいのです。キリストの勝利の凱旋に加わる人はだれでしょうか。ヨシュアとカレブのように、主の勝利を信じて戦う人はだれでしょうか。
1 おそらく、世界で最も多く使用されている名前は、ユダヤ人の名前でしょう。英語のジョン、ジェームス、ポール・・・これらはみな聖書の登場人物の名前です。