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聖書的エコロジー



(Q)たとえば、神学からエコロジー的な発想が生まれてくるでしょうか?人間が地球の主人ではないと言う発想は進化論などの科学から生じているように思います。

(A)神は、人間を創造されたときに、「地を治めよ。」と言われました。つまり、地球を秩序正しく管理せよ、と述べられたのです。ですから、人間が神の意志を無視して自然を濫用することは聖書において堅く禁じられています。例えば、律法において、むやみに木を伐採することを禁ずる戒めがあります(申命記20章19,20節)。また、動物を虐待したり殺すことを禁じている律法もあります(レビ記24・18)。

 たしかに、「人間は地球の主人ではない」という発想は進化論から生じているかもしれません。それでは、人間は一体何なのでしょうか。人間と動物とどこが違うのでしょうか。もし人間が主人ではないならば、どうして、日本の法律において、人を殺すと重罪になって、動物を殺しても軽罪になるのでしょうか。

 日本国が公立学校で進化論を教えるならば、なぜ、法律で人間のほうが重視されて犬や猫が軽視されているのでしょうか。人間は地球の主人ではないならば、これは明らかに差別ではないですか。

 聖書において、人間は単なる知恵のついたサルではありません。人間は神の姿に似せて造られたのです。だから、神は、「人を殺す者は、人によっていのちを取られるべし」とお定めになったのです。人間は、明らかに動物とは違う価値があります。しかし、それだからといって、動物はどうでもよい、というわけではなく、人間は、動物を管理するために創造されたのです。だから、安息日には、動物も休ませなさい、と命じられているのです。動物を愛護することは人間の基本的使命なのです。




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