保険の仕事は神様の仕事じゃない?
伝道者や教会の奉仕をしなければ神の仕事をしたことにならない、というのが今日常識的になっていますが、いかがなものか、と思います。
ある友人からこのような話を聞きました。
彼はドイツの神学校を卒業したのですが、牧師の召命がなく、古典語の研究が自分の進む道だと思い、大学で研究していました。
ある時、日本で28年間宣教師として働いていた老人にその話をした所、突然彼が、日本語で「神様の働きをしなければだめじゃ〜!!」と大声で叫んだのです。回りに人がいるにもかかわらず、大声で怒鳴られたので、彼は非常に恥ずかしい思いをしたということです。
その老人は、神学校に行ったら、牧師になるのが当然であり、それ以外のことをしているのは、神の栄光を汚していると考えている、と話していて分かったそうです。
はたして、古典語の研究が、神の栄光を汚したことになるのでしょうか。
また、ある友人がこのように話しているのを聞いてびっくりしたことがあります。
「ぼくは保険の営業の仕事なんかやめて、早く神様の仕事がしたいんです。」そこで、私が、「えっ?保険の営業の仕事をしていてどうして神様の仕事じゃないんですか。」と聞くと、「だって、教会で奉仕ができなければ神様のためにならないじゃないですか。」と言いました。
このような話は今日いたる所で耳にします。
古典語の研究であれ、生物学の研究であれ、スポーツの選手であれ、官庁に勤めることであれ、それぞれ自分が神様から与えられた仕事をすれば、神の栄光のために働いていることになるのです。
人は、自分に合ったことでなおかつ神から召されているという確信があり、その仕事を忠実にしていれば、立派に神様のために仕事をしていることになるのです。
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