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ミレニアムの信仰的立場



 ミレニアムが主張しているキリスト教再建論が、異端的であるとか、聖書から外れていると考えるならば、その人は、キリスト教について無知であることを示しています。

 これは、アメリカに入植したピューリタンの立場であり、歴史的にまったく新しい考え方というわけではありません。したがって、キリスト教再建論は、ネオ・ピューリタニズムと呼ばれています。

 律法を社会に適用する試みは、ニューイングランドにおいて実際に行われました。また、イギリスにおいても、アメリカにおいても、ピューリタンたちは、後千年王国説を信じており、キリストの主権は全世界に拡大されると信じていました。

 契約思想については、カルヴァンから始まり、その後徐々に発展し、カルヴァン主義の教会においては、常識とされている500年もの歴史を持つ教理です。

 R・J・ラッシュドゥーニーは、かつてアメリカ長老教会の牧師でありアメリカインディアンの宣教師として長らく働いていました。ニューズウィーク紙は、彼の主催するカルケドンという宣教団体を、アメリカキリスト教のシンクタンクとして紹介しました。再建論の主唱者の一人、グレッグ・バーンセンは、れっきとした長老教会の教職者でした(去年死亡)。

 アメリカにおいて、キリスト教再建論者が異端扱いされたことはありません。カルヴァン主義の中心的神学校であるウェストミンスター神学校は、再建論者のテキストを使って授業を行っています。

 ヴァン・ティルの前提主義(あらゆるものは神の意見にしたがって理解されなければならない)も、改革派や長老派において、ごく正統的な考え方とされているものです。

 反進化論は、聖書信仰のクリスチャンであれば、当然持つべき立場であり、創造論に立つ科学者もたくさんいます。福音派の立場においては、常識として扱われています。

 ヒューマニズムとの対決については、契約神学の立場からすれば、当然導き出せる考え方であり、これも、革命思想とは無縁です。

 私たちは、けっして武力によって、キリストを主権者にまつりあげようとしているのではありません。

 あくまでも、国家の正当な法律を守り、社会においてよき市民として行動すべきと考えています。

 ただし、万物において、キリストの主権を主張するわけですから、最終目標は、政治においても、日本は聖書に基づいて統治されるべきだと考えます。

 これは、無理矢理、そのような法律を押しつけるとか、政府の転覆をはかるとかではなく、あくまでも、国民が自ら選択してそのような法律を採択するようになるのを期待しているのです。

 ですから、強制によるのではなく、まず、神が聖霊によって、人々の心を変えて、多くのクリスチャンが生まれなければならないと考えます。聖霊によって生まれ変わった人々は、当然、あらゆることがらにおいて、キリストに従いたいと思うようになるので、政治においても、聖書に従った法律が制定されるように望むようになるのです。

 これは、現在の状況からするとまったくの夢物語ですが、それは、信仰によって、私たちはそのようになると確信しています。というのは、聖書には数多くの預言があるからです。

 全世界が、神の律法を待ち望むようになるとの預言は数多く存在します。

 私たちは、見えるところによらず、信仰によって歩むわけですから、自分の力を信じるのではなく、神の力を信じるのです。

 ある人は、ヨーロッパがキリスト教化されたのは、ルターからだった、と言いました。とすれば、ヨーロッパがキリスト教化されるのに、1500年もかかったということになります。

 したがって、私たちは、今日明日、日本がキリスト教化されるなどとは考えていません。

 これは、長い闘いであり、クリスチャンが自覚的に、キリストの主権をあらゆる領域において確立することを求める中で、徐々に達成されていくものなのです。ですから、あと何百年もかかるかもしれません。時は、神におまかせすべきなのであって、私たちが心配すべきことではありません。いや、もっと早いかもしれません。私にはわかりません。




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