「政教分離」は幻想である
「政教分離」は幻想である。
この世において、どの宗教からも完全に自由な人・制度は存在しない。
「無神論」も宗教である。
「ものごとの善悪・価値について無根拠に断定を下す」ものはだれでも宗教者である。
もし、今日の日本が無宗教であり、中立であるならば、殺人犯を処刑せよというキリスト教の教えと対立するはずがない。
今日の無宗教・中立を宣言する政府は、すべて、キリスト教や他の宗教との間で、価値観を対立させたり、または同意したりするわけであるから、宗教と同一のレベルにあると言えるのである。
この世に中立な道徳とか価値観とかは存在しないのであるから、現在中立を宣言しているあらゆる政府や人は、「私たちは、宗教家の皆さんとは別の分野で働いているものであって、皆さんの権利を侵そうとか、皆さんに反対しようという気はまったくございません。」と言ったとしても、けっして信用してはならない。
政府は法によって成り立ち、法は、その社会の価値観を成文化したものであり、不可避的に宗教的なのであるから、政府が宗教と無関係であると言うのは幻想である。
「自分は、宗教的に中立であって、それゆえに君たちのような形而上学に凝り固まった気持ち悪い連中とは違うのだよ。」というのは、自分がこれまで受けてきた疑似無宗教的教育によって、そのように信じるように騙されてきたからである。彼は、宗教的教育を受けてきたのだ。そして、そのような教育を共に受け、「おれたちは宗教とは関係ないよ。」という暗黙の了解の中で社会生活をしている仲間の中で目立つ存在ではなかったことに、安心しきっていたからに他ならない。
こういった幻想に包まれると、オウムの事件を見て、あれは特別だなどと簡単に断定してしまう。
宗教の根底には権力奪取の野望が常にある。
ヒューマニズムは、この数百年の間、権力奪取に成功してきた体制側の宗教である。彼らが、他の宗教にめくじらを立てず、オウムにだけ反応しているのは、彼らの主権が直接的に脅かされたからにほかならない。他の宗教は直接的な手段で政権を奪取しようとは考えていないからである。