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なぜ6日創造説でなければならないのか?

 

 サッカーのオリンピック代表のファンです。

 最初サッカーを見始めた頃、A代表(三浦和やラモス)のプレーを見てて、日本のサッカーもとても進歩したなあ、と感じたのですが、今のオリンピック代表の活躍には目をみはるものがあります。

 それは、得点力の違いだと思うのですが、Jリーグで鍛えられたのか、それとも、時代としてそういう才能が集まったのかはわかりませんが、A代表がゴール前でおっかなびっくりやっているのに対して、オリンピック代表は堂々としています。

 これじゃあ、集客力に差が出るのも当然で、オリンピック代表の方がもりあがっています。

 

 さて、サッカーや他のスポーツを見ていつも、「神は一回の試行錯誤もなしに、人間にこのような運動機能を与えられた、というのはすごいなあ」と思います。

 

 人間がものを作るときには、何回もテストをして試行錯誤します。

 イスを作るにしても、強度とか、安定性とかに注意しながら、時に失敗して壊してやり直したりしますが、神は一度の試行錯誤もテストもなく、人間の大たい骨や関節をあやまりなく完璧に作られた。

 運動にふさわしい中枢も、神経もすべて充分に作られた。

 

 クリスチャンが6日創造説を支持しなければならないのは、神の完全性・絶対性を証しする義務があるからです。

 

 神が6日で創造されたのは、それが人間の労働の手本となるためであって、試行錯誤があったからではない。

 進化を容認するキリスト教は、神が一度で世界を完全に創造する力を持つことを証しすることができません。

 あくまでも神を証しする方法とは、「・・・よ、あれ。」と仰せられ、「すると、・・・があった。」という命令だけで完全な世界を時間を超越して創造できる絶対者を示すこと以外ではない。