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体制と宗教



>銅像や肖像画もそうですが、その際、従来イコンを
>飾っていた習慣を利用してレーニンの肖像画を普及
>させた節があると言う話を、何かで読んだ覚えがあ
>ります。

 体制は、宗教の力をよく知っていたということでしょうか。社会を上手に統治する最良の方法は、人々の宗教心に訴えることであると。どんな侵略戦争をはじめるにしても、大義名分がなければ、人々は動かないのではないかと。

 日本や、ナチスドイツ、アメリカをはじめ、宗教心、正義感、勝利への確信、こういった宗教のモチーフを利用しないでは戦争も革命も遂行することはできない。ヒトラーは、地方遊説に向かうときに、飛行機を使ったということです。そして、天からやってくる救世主を演じたと言われます。

 アメリカは、真珠湾によって救われたと言ってもよかったのではと思います。あれがあったから、やる気がでた。そして、ルーズベルトは全部作戦を知っていながら、ハワイ艦隊の司令官にも情報を伝えていなかったというではありませんか。最初にたたかせれば、いやがおうでも、国民は燃え上がります。

 あの原爆投下や東京大空襲もそのような「いけいけムード」の中でやってしまったのでは、と感じてしまうのです。

   祭りは、そういう意味で、体制を維持する上で非常に優れた方便であると思います。人々に、一つのカオスを経験させる。それも、社会のお墨付きを受けたカオスを。人々は、そのカオスのもたらす一時の快楽を通して、理屈抜きで体制の一員に組み込まれる。そして、それに組み込まれていることを喜びとさえ感じる。

 ヒトラーは、格安の旅行を国民にプレゼントしたと言います。

 因みに、大衆の隠れた優越感と差別意識を利用するというのも、体制を維持する上でヒトラーが利用したものでした。つまり、彼は、人々の低レベルの欲望を巧妙に利用して、自己の支配体制を築き上げた。

 ロシアにおける宗教は、ロシア人を農奴として苦しむことを耐えさせたという利点があるのではないか、と思います。(*)

 ヒンズー教のカーストも、恐らく、宗教を利用した支配者の統治方法だったのでしょう。生まれながらにして、身分が固定されている。そして、それは宇宙の理であり、宿命なのだと信じさせる。その抑圧を肯定させるために、お祭りを行って、カタルシスを促す。お祭りで一時的な快楽を味わわせて、自分たちを抑圧している宗教が、実は自分たちを幸せにしてくれると錯覚させる、と思うのです。

 日本の祖先崇拝も、家制度の維持に大義名分を与えるための人造宗教であると思います。実際、現在のように核家族が進むと、家制度を維持する必要がないので、だんだん、お墓参りにはいかなくなります。

 社会制度の維持のために造られた宗教は、社会制度が変化することによって、存在価値がなくなる。だから捨てられる運命にあります。

 支配体制を造るという点では、徳川幕府は天才的であった。この政府は、ローマカトリック教を一つの革命勢力と考えていましたので、ローマカトリック教側の提示する主権者(=教皇)を排除するために、諸制度を水ももらさぬ徹底したものに作り替えた。





(*)ロシア正教には、独自の社会理論がありません。それは、体制にとって非常に有利なのです。信仰をこの世には適用できないとする宗教(アルミニアン教もその一つ)は、統治者の御用宗教となります。

ロシア正教は「苦しみを通しての人格的陶冶」を最終的な目標の一つとしています。十字架を最終目標とする宗教は、苦痛とか矛盾というものを無条件に肯定させる効果があるのではないか。これに対して、カルヴァン主義(とくにピューリタニズム)のキリスト教は、十字架を最終目的とするのではなく、復活と勝利を重視します。つまり、苦しみではなく、苦しみの後にキリストは勝利した。そして、王となった。だから、クリスチャンも王の子どもたちとして、統治しなければならない。つまり、社会の建設に視点が置かれています。

 当然、宗教は、人間の中心をしめるものなので、人々の心に強力な影響を与えます。自分の苦しみを最終目的とするのか、それとも、苦しみのかなたに、社会を改革することに関心の中心を置くのか。この考え方の違いは、社会に大きく反映されることになります。カルヴァン主義者のピューリタンによって建国されたアメリカが世界一の資本を築き上げていたのに対して、ロシア革命前のロシアは貧困の中にまだ資本主義国として立つには至らなかった。もちろん、このような相違には他にも様々な原因があるでしょう。しかし、社会の発展に宗教が大きく寄与することは間違いないと思います。  




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