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進化論は思想である

 

>当然ですが、「進化論」は「思想」や「宗教」ではありません。

>進化論が、社会を荒廃させる元凶の様に言う珍しい方も

>おられますが、進化が社会を荒廃させるのなら宗教が現れるもっと

>以前に人類は絶滅していたでしょう。

 

 残念ながら、思想史の中では進化論を思想の一つとして扱うこと、そして、進化論による自然法・倫理に対する影響の議論は別に珍しいことでもなんでもない。

 

 別に権威を持ち出すのもおこがましいが、「珍しい」と言われたので、ひとつ引用しよう。

 

 アムステルダム自由大学教授ヘルマン・ドーイウェルトは次のように述べている。

 

 「事実、このような実証主義(19世紀中頃)は、人間主義的な『人格の理念』が持つロマン主義的・観念論的形而上学に対する自然主義的『科学理念』側からの現代的反応でしかなかった。この反応は、当時登場しつつあったダーウィン主義においてきわめて明瞭に現れたのである。ダーウィン主義は、機械論や個体主義の立場から、(それまで歴史理論に傾斜していた)ロマン主義の組織論的・観念論的発展概念を変革した。ダーウィン主義は、あらゆる科学分野に対して、巨大な影響を及ぼした。心理学・歴史学・民族学・経済学・法理論・倫理学・神学ですらその例外ではなかった。・・・」

 

 ヘーゲル主義の思弁性に対向して19世紀中頃に実証主義の批判が起こったこと、そして、そのような批判側にダーウィン主義が含まれているのはいわば「常識」だ。

 

 それから、もうひとつ常識として押さえておいて欲しいのは、「存在論」を扱うならば、どのような科学であれ、不可避的に「思想」になってしまうということだ。

 

 砕いて説明しよう。

 

 進化論は内在論、つまり、超越者による介入なしに、生物は発生したとする立場だ。

 

 この前提を崩すと、進化論者の世界から追い出されてしまう。

 

 「おれたちゃ、別に宗教とか思想なんてものとは無関係で研究やってるのよ。」といくら進化論者が力説しても、「神様が・・・」と言い出す人間をオミットせざるをえない。もしそんな超越論を許してしまえば、進化論全体のパラダイムが崩壊してしまうからだ。

 

 つまり、進化論は創造論の存在論に対して明確な対向的意見を持っているということなのだ。

 

 対向的意見を持っているということは、まさに「思想」そのものだということになる。

 

 これは進化論だけじゃなくてあらゆる学問について言えることなのだが、進化論においてはとくに顕著に現れる。だから、進化論は学問の中でも最も「思想的」なのだ。