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価値について



 価値というものが、人間の主観によってもよいと考えると、歴史の中で起こった様々な出来事がどうしても無駄に思えてしまうのです。

 例えば、第二次世界大戦というものがありました。そこで、原爆のフィルムを見たのですが、とんでもないことが一般の市民に対して行われた。女性や子どもまでが、6000度の熱で焼かれた。中国で、無辜の人々が日本軍によって虐殺された。

 人間の歴史は、このような非日常性があるんですね。これは、私のように平凡に生きてきた者にとっては、信じられないことです。そこで、そのような人々が、受けた肉体的精神的な苦痛というものをどのように自分がとらえていったらよいのか。これが、私のテーマなのです。

 つまり、例えばペルーの人質になった人々は、あの戦闘のさなかで、大変な恐怖を味わった。じゃあ、こういった問題は、いったいどういう意味があるのだろうか。

 ただ、テロはよくない、とか、治安をよくしなければ、という問題ですむのだろうか。そのような皮相的な対策によって、彼らの味わった苦痛というものが報われるのだろうか。

 わたしは、もっと根元的なところから考えたいのです。例えば、テロを行った人々にはある確信がある、では、確信というのは、必ずしも正しいとはいえない。

 悪い確信というものもあるわけです。このようなテロは、毛沢東やスターリンが行った大量虐殺から比べれば、子どもだましでしょう。ヒトラーだってやれなかったことを彼らは自国民に対して行ったわけです。

 そこで、私は、問題を政治とか経済とか、軍事だけで考えたくない。もし表層的な思考しかできないならば、問題は再発するからです。

 では、問題を深く考えるとどうなるのか。それは、やはり、哲学的な問題に帰結するのではないか、と思うのです。

 例えば、毛沢東やポルポトが、正義のために戦ったのに、なぜ大量虐殺を生み出したのか。それは、彼らの思想に問題があったからでしょう。正しいことを行っても、それが誤った前提にたっていれば、どうしても、正義は反対者に対して残虐にならざるを得ない。

 やはり、現実に、価値というのは、多様であってはならないのではないか。というのが、私の考えなのです。持ってはいけない価値というものがあるのではないか。

 そこで、現在の社会科学や自然科学に存在する相対主義というものについて異議を唱えるのです。つまり、大学においても、統一した世界観が存在しない。university ではなく、multiversity なわけです。多元主義というものが、学界を支配している。

 はたしてそれでよいのだろうか。正と反の対立という思考形式が、そんなに簡単に否定されてよいものだろうか。正しいものがあって、間違ったものがあると考えざるを得ないのではないだろうか。

 そこで、哲学というものは、人間社会の根源を形成するので、そこに焦点を当てるべく努力したいと思っています。

 これは、今日の学界の人々から見れば、こっけいであり、敵意をもたれることでしょうが、歴史において起こったとんでもない愚行を見るときに、どうしても、私は、相対的にものごとは考えられないのではないか、と思ってしまいます。相対主義では、差別にあえいでいる無数の人々、虐殺におびやかされている人々、社会の秩序の崩壊によって、暴行されたり略奪されたりしている多くの人々の魂は浮かばれない。

 私の学生時代には、共産主義が盛んだったのですが、学生運動に少し参加してみて思ったのは、彼らには正義感はあるが、ものごとを皮相的にしか考えられないという欠点があったということです。

 あのベトナム戦争において、ベトコンたちは、共産主義に未来をたくして、勇敢に死んでいきました。ペルーのゲリラの中に女性や子どもがいた。彼らは、正義に燃えて運動に参加した。しかし、ベトナム戦争が終結して現れた共産社会のとんでもない国家支配は、彼らに大きな失望を与えたのです。ペルーのゲリラが社会の革命に成功しても、現れてくるのは、やはり強者が弱者を支配する構造でしょう。ソ連や中国や北朝鮮の失敗を間近に見ていながら、どうして、それを繰り返そうとするのか。

 どうして、もっと歴史から学ぼうとしないのか。どうして、その教訓を生かそうとしないのか。生命をかけるならば、どうしてもっと確固とした信念を形成してから行動しないのか。軽はずみに運動に参加しても、それが、社会をよくするどころか、逆に社会をテロと貧困と、国家警察と、不自由と言論の弾圧を招来するならば、彼らの人生は無駄になってしまう。

 靖国神社の境内に置かれている応召学徒兵が両親にあてた手紙を読むときに、なんともやりきれない気持ちがします。あなたを戦争に追い立てて、あなたの生命を奪ったのは、いったい何だったのか。この国家のわがままを助長し、国家の無制限な権力を容認し、それをあおり立てた、まさにこの神社だったのではないか。

 そういう意味で、単なるお涙頂戴や感情だけに訴える反戦運動には賛同できないのです。平和は、そのような絶対平和主義で獲得できるのだろうか。絶対平和主義が、いかにバルト三国の人々を苦しめたのか。西側諸国は、スターリンに妥協し、三国を売り渡したのです。ヒトラーに妥協した平和主義者が、彼の侵略を許してしまったではないか。






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