ジェフリー・ジーグラー師
最近、フィル・ヴォルマンと筆者は対談の中で、ある福音主義の牧師にこう尋ねました。「なぜ、あなたはキリスト教の歴史的信条を教会において適用しないのですか。」と。というのも、この牧師は、教会の中においても、教派の中においても、モダリスト(反三位一体論者)に甘い顔をしていたからです。彼の、ニケア・使徒・カルケドン・アタナシウス諸信条に対する見解は、よく言えばどっちつかずの、悪く言えば馬鹿げたものでした。
「信条は分裂を招くからです。」と彼は言いました。筆者は、これほどあからさまな発言を聞いたことがありませんでした。
もちろん、信条は分裂を招くのです!
分裂こそ、信条の目的なのです!
信条は、羊と山羊を分け、正統と異端を分け、信者と背教者を分けるのです!
さあ、偉大なる追放の時が来ました!これらの女々しい、罪に対して寛容な腑抜けどもを追い出す時が来たのです。彼らにとって、かつて聖徒たちに委ねられた信仰の内容などどうでもよいことなのです。彼らの関心は、いかに安定した老後を迎えることができるか、ということだけです。
愛する皆さん、さあ目ざめましょう!この弱虫どもは、あなたの家族を妥協と倦怠と敗北に陥れようとしています。あなたを修道院的内省に引き入れようとしているこれらの連中が、真理を愛する人々に対して身の毛もよだつ攻撃を仕掛けているのに、どうして黙座していてよいでしょうか!あなたがおへその凹みに溜まった糸くずを取り除いて(くずぐずして)いる間に、彼らは信仰を投げ捨て、契約を破棄し、あってもなくてもいいような教会の仕事に多額のお金を使い、そのためにあなたの家族から多くのお金を巻き上げようとしているのです。なんとしても受け入れがたいのは、彼らはこういったことを、福音派特有のくらげのような
(evanjellyfish)笑みを浮かべたり、目に涙を浮かべながらいかにも謙遜なふりをして行っているということです。こういった感情主導型の「恍惚」宗教の指導者たちは、真理の擁護者たちを、憎しみに満ちた不寛容な悪漢として描いています。なんとクリントン的なんでしょう! なんと吐き気のする光景でしょうか! ケン・スターが述べたように、「黒は白とされ、上は下となり、正しさは罪とされて」いるのです。
愛する皆さん、異端者ども、臆病者たち、妥協する者たちと戦うことは善です。もしあなたが私たちの王のために対立し、戦っているならば、分裂は同じくらい良いことなのです。改革の働きに混乱は付き物です。正統信仰や社会の再建に対して心の中で同意するだけでは不十分です。真の改革は、教会や家庭を偽りから真理へ、闇から光へ、弱さから強さと成熟へと導く実践的な活動なのです。戦いを避けるならば、改革は進みません。
あなたは何をなさいますか? 言葉で伝えますか? それとも文章で伝えますか?回心者を求めますか? (対立を恐れず)友達に真理を語りますか? ルター、カルヴァン、ノックス、クロムウェル、エドワーズ、ウォーフィールドがあなたの先輩です。あなたは何をなさいますか?
「大きなことを語り、小さなことしかしない『口だけ病』」。これは、多くの教職者たちが患っている伝染病です。改革主義者・再建主義者を自称する牧師たちでさえ、この潜行病に罹り、不毛な実を刈り取ろうとしているのです。
教会の会衆とか仲間の前で大胆かつ雄弁に語ることは訳もないことです。彼らは、あなたの話すことについてあらかじめ同意している人々だからです。同僚の牧師たちや政治家たちに面と向かって真理を語り、敵対している人々と議論することは、まったく次元の違うことなのです。自分の教会の教会員と対立し、彼らを訓練できる牧師はほとんど皆無なのです。
いざ教会を改革信仰に変えるという段になると、彼らは恐れに満たされ、及び腰になるのです。彼らは前進のために忍耐するよりも、怠惰に走り、教会を会衆のニーズに合わせて部門ごとに分割しようとします。「再建主義者は自分達のために日曜学校のクラスを持つことができます。カリスマ派の皆さんは、祈祷会を開いてください。福音派は教会成長のために自立セミナーを開いたり駐車場を大きくしてください。」教会は分裂せず、大きな一つの幸せな家族に留まります。この行き先の定まらない、ただもがくばかりの無能な集団には、相変わらず献金が集まります。
わたしは、「聖書が教える父権制社会」というテーマのテープ集と小冊子を近々発行する予定なのですが、このテープと冊子についてある再建主義の牧師からクレームが来ました。「それはやめてください。私たちの教会の3分の2は女性なんですよ。彼女らを怒らせたくはないんです。」また、別の牧師からはこう言われました。「あなたは、どうしてもカルヴァン主義という言葉を使わなければならなりませんか。会衆はきっと嫌がると思うのです。」試しに、これらの牧師を密室に入れて、「気の置けない仲間」の前に立たせるか、彼らに手紙を書かせてごらんなさい。彼らは、すぐさま第二のジョン・ノックスに変身するのです。彼らはただの小心なチョコレート製の兵隊でしかないのです。
彼らは熱が加わればへなへなと溶けてしまいます。教会を変える主な手段は、「なだめすかしのテクニック」であると考える牧師が非常に多いのです。現在、これらの教会の大多数が戦線から離脱してしまいました。数年前には一緒に活動していた仲間が元の鞘に戻ってしまいました。いや、実際には、彼らはその前よりも酷い状態になっているのです。同じ集会の内部に、真理を知りながら行動に移れないでフラストレーションを感じている人々、何が起こっているかすら知らない人々、教会が変わってしまったことに憤りを感じている人々がいます。
皮肉なことに、こういった牧師たちほど、どのようにして教会を改革すべきかわたしに教えようとします。もし、私たちが、800の教会と改革専門家会議を持つ18の教派を獲得しようとし、しかも、これらの教会の多くがすでに改革され、それよりも多くの牧師たちが考え方を変えているという実績があるならば、彼らも私たちの主張に耳を傾けるだろうと、あなたはお考えかもしれません。しかし、そういうわけにはいかないのです。彼らは、相変わらず「大きなことを語り、小さなことしかしない」口だけ病に罹ったままのです。
これまでありとあらゆる口実を聞いてきました。
「だって、金づるを失うことになるじゃないですか。」
そうね。じゃあ、車を売ったらどうですか。
「人間関係を壊したくないんです。」
人を恐れると罠に陥りますよ。
「人に好かれようとすることは悪いことではありませんよね。」
全然。でもね、人に気に入られるために牧師になったのなら、道を間違えたと思いますよ。サーカスに入ってピエロになったほうがよかったんじゃないですか?ピエロは誰からも好かれますからね。
わたしの親友で同労者でもあるフィル・ヴォルマン師は、これらの牧師たちをPTA(Permanent Testicular Atrophy = 恒常性睾丸萎縮症)と名付けました。牧師先生! 神のために群を指導してください! 改革正統信仰の真理のために戦ってください! 戦線の手前でもじもじするのを止めて、中に入ってきてください! 大きなことを語り、大きなことを行おうではありませんか!