法と社会



神学と国家


R・J・ラッシュドゥーニー



 古代異邦社会において、宗教は、単なる国家の付属物でした。宗教の使命は、その社会の法秩序の正当性を示すことと、個人に保障を与えることにありました。発達した異教社会において、国家は最高かつ主要な生命組織と考えられていました。そのため、宗教生活の本質は「人間と国家」もしくは「人間と統治者」の間の関係にありました。神は国家を通して活動しました。そしてあらゆる制度は、国家とその生命の文脈の中で理解されました。

聖書的宗教は、この考えを否定します。キリスト教は、宣教活動を開始するとすぐに、「生命の統一は神においてよりもむしろ国家において表現される」とする考えと対決しました。これは激しい戦いとなりました。しかし、結果は、キリスト教の承認と独立に終わりました。ある皇帝は教会を国家に吸収しようとしました。それとは逆に、ある教皇は国家を教会の一部に取り込もうとしました。いわゆる中世と呼ばれる時代及び宗教改革期を通じて、このような戦いが間断なく続きました。ヴィリエの高位者であり、改革主義思想家であった(但し、カルヴァンやベザなどは彼を非難しました)ジーン・モーレイは、こう述べています。「教会権力と政府は、唯一の真の神の教会を構成する二つの部分である。」1 カトリックもプロテスタントも同様に、「人はみな、教会と国家の両方の支配下にあるべきだ。」と考えました。例えば、イギリスにおいて、イギリス国教会が唯一のイギリスの教会組織であり、国家はその市民的分野における一つの表象にすぎない、と考えられていました。この様に、あらゆる人は教会と国家の二つの権威の下にいました。権力と管理は、支配権力や指導者の手中に置かれ、民衆からは遠ざけられていました。この原則を棄てることは、教会と国家を民主主義や人民の意思に引き渡すことであり、ひいては、無政府状態を作り出すことである、と考えられていました。また、そうすれば、教会も少数の「残りの民」だけになってしまうと考えらていました。「国が与え、国が創立した教会」は、ローマ・カトリック教会や長老教会、改革派教会、ルター派教会、英国教会が唱道していた信仰でした。また、これは、会衆派教会の初期の信仰でもありました。

 他方、バプテストたちは、自主的教会に固執しました。それは、民主的な方法によって運営され、信仰の「残りの民」によって構成されていました。十七、八世紀の、初代バプテストたちの大多数がカルヴァン主義者だったことは、注目に値します。人間生活における宗教の本質は「信仰」なので、バプテストたちは非常に早くから、信仰告白に基づいて集まった信者たちによって構成される自主的教会に固執しました。

 明らかに、ローマ教会や初期プロテスタント教会の旧い世代の人々は、自分たちが困難な状況にあることを悟っていました。すなわち、彼らは反対者や異端者を罰する法律の制定に同意することを余儀なくされたのです。教会は、教会内の不信者に「宣教」するのではなく、不信者や反対者に対する「法的行動」に加わるように要請されました。不信者よりも反対者のほうが強い確信を持っていたので、反対者が迫害の対象となりました。不信者は潜伏することを許され、好機を伺うことになりました。

 他方、バプテストの見解は、実質的に教会と国家の分離だけではなく、宗教と国家の分離をも意味しました。多くのバプテストたちが世俗的、ヒューマニズム的国家を選択し、世界を悪魔に引き渡すことに手を貸しました。

 この様に、どちらの側も、神学と国家との関係や、文明の未来を決定する緊急の課題に対して満足のいく解答を提供することができませんでした。あらゆる法制度や法体系は宗教的制度です。それゆえ、クリスチャンが非キリスト教国家に同意することは、結局、国家がクリスチャンを迫害し、排除することを認め、それを確実なものとすることに他ならないのです。さらに、教会が国家と合同することは、反対者の迫害を意味するのです。

 ある教父は、礼拝の自由について驚くほど現代的な言葉を用いて断言しました。テルトリアヌスは、次のように言いました。


   私たちは、唯一神の礼拝者である。このお方の御存在と御性格については、自然があらゆる人に教えている。稲妻や雷鳴はあなたを震えさせ、そのみ恵みはあなたに幸せを与える。あなたは、他にも神はいるではないかと思っているが、私たちは、その実体は悪魔であると知っている。だが、あらゆる人が己の確信にしたがって礼拝するということは、基本的人権であり、自然的特権なのである。ある人の宗教は、他の人を害したり、助けたりはしないものだ。宗教を強制することは、決して宗教のすべきことではない。宗教へは、自由意思によって導かれるべきであって、強引に信仰を強制されてはならない。犠牲でさえ自発的な精神によって捧げられるべきである。たとえ、あなたが、私たちにいけにえを捧げることを強制したとしても、このことによってあなたがあなたの神々に真の礼拝を捧げたことにはならないだろう。神々は、総じて神聖ではない言い争いの精神によって活気づけられることがなければ、やる気のない者たちの献げ物を受け付けようとは思わないのだ。したがって、真の神は、み恵みを、邪悪な者にも選ばれたものにも与え給う。感謝するものも、感謝しないものも共に神の法廷の前に立つとき、神は、その与え給うたみ恵みに応じて永遠の裁きを下し給う。2


 テルトリアヌスの意見は跪弱です。なぜならば、彼は聖書ではなく自然法にその根拠を置いたからです。さらに、ここには一つの重要な問題−−すなわち、犯罪法は神学的・宗教的前提の上にその根拠を置くのか、という問題−−が起こります。もし宗教において非強制がそれほど基本的なものであるならば、どうして宗教的原理に立って殺す殺人者を処罰したり、私有財産を否定する信仰を持つ泥棒を逮捕することができるのでしょうか。異端も不信仰も等しく社会にとって危険なのではないでしょうか。古代の論理はかくのごときものでした。それはけっして答えを与えられず、無視されただけでした。ローマは、キリスト教を許可することは、自殺的な行為であるということを知っていました。なぜならば、聖書は人生のあらゆる領域においてその人の生き方を一八〇度転換することを求めるからです。危機に晒されていたのは、単なる信条ではありません。ローマの生活全体が存亡の境に置かれたのです。結局ローマは滅びました。問題はキリスト教の時代において解決されず、今日まで継承されています。今日国家は、ますます公然とヒューマニズムを標榜するようになっているので、残された唯一の道は、キリスト教を打倒し破壊し尽くすか、もしくは自分が打倒され破壊し尽くされるかのどちらかでしかありません。ある領域において、戦いはすでに始まっています。クリスチャンスクールは教師の採否を信仰の基準で決定することを法律で禁じられています。無神論者の教師が教壇から無神論を教えても、学校側はそれを拒否することができないのです。しかし、逆に公立学校においてクリスチャンの教師がキリスト教を教えることは禁じられているのです。「公民権」論争はこのようにしてキリスト教を攻撃してきたのです。 ラクタンティウスによる礼拝の自由に関する論争は、幾分テルトゥリアヌスの主張とは異なっていました。


   宗教は、殺すことによってではなく、死ぬことによって擁護されなければならない。また、残酷によってではなく、忍耐によって、罪によってではなく、良き信仰によって保たれねばならない。というのは、前者は悪に属すが、後者は善に属するからである。善が宗教を支配すべきであって、悪が支配すべきではない。というのは、もしだれかが流血や拷問や罪深い手段を用いて宗教を擁護しようとしても、それを末永く擁護することは不可能であり、かえってそれを汚し冒涜することになるからである。宗教ほど自由意思が重んじられるものはない。もし礼拝者の心がそれから離れるならば、その宗教はすぐさま力を失い、消えてしまうだろう。それゆえ、正しい方法は、忍耐と死によって宗教を守ることであり、このような方法によって達成された信仰の保全こそ、主ご自身を喜ばせ、そのみ教えに権威をもたらすものなのです。3


 ラクタンティウスは、迫害下にある教会について語るだけで、社会に制度を供給する教会の責務については触れていません。それゆえ、彼の意見は煮え切らないものとなっています。さらに、迫害という手段によって、ローマは自分の生き残りをかけて戦ったのです。その熱意は、教会が自分の生き残りをかけて戦ったと同じくらい激しいものでした。国家が己の神学[つまり、世界観]を他に押しつけようとすると、そこには常に反対者への迫害が伴います。国家の神学的意味について無関心になるということは、法と社会の解体、及び、別の信条−−無政府主義−−の勝利を意味するのです。

 私たちは、十七、十八世紀以前において、人々が良心の自由の概念に対して無関心であったと考えてはなりません。彼らの問題は次のようなものでした。「すべての人々のために良心の自由を保証し、なおかつ、キリスト教の立場を保持するためには、国家はどの様に行動すれば良いのか。良心の自由のために、国家はすぐさま反キリスト教的性格を帯び、クリスチャンを告発するようになるのではないだろうか。」このジレンマは現実的です。その問題への解答はまだ与えられていません。これまではバプテスト・カルヴィニストの解答が不戦勝で勝ってきました。すなわち、すべての人々の良心の自由を保証する世俗的ヒューマニズム国家が当時の秩序として採用されたのです。しかし、現在、このようなヒューマニズム国家はそのキリスト教的法的遺産を失いつつあります。それゆえ、次のステップにおいて、国家はクリスチャンを反民主主義的・差別的集団として告発するようになります。なぜならば、クリスチャンは、キリストを基準として人々を分けるからです。

 神学を政府から切り離すことはできません。あらゆる教会は、その活動において己の神学を表現しますが、それと同じくらい確実に、あらゆる政府や国家は、各々独自の神学をその活動の中で表現します。あらゆる市民は政治体のメンバーとして神学の下に生きなければならないのです。もしその国家の神学が教会の神学と異なる場合、遅かれ早かれそこには衝突が生じます。社会は与えられた枠組みの中でのみ、また、与えられた信条の限界内においてのみ多元主義的でいられるのです。その限界がその枠組みを越えて膨脹するとき、その神学は崩壊するのです。

 過去において、個人的信仰を告白しなかったにもかかわらず、国家のためにキリスト教神学を保持し、また、強調する支配者がいました。それは、その他のいかなる神学を奉じても自らの権威が失墜することを知っていたからです。今日、大衆に支持されている信仰はヒューマニズムであり、あらゆる政府はますますはっきりとヒューマニズムを奉ずるようになっています。その結果、今日クリスチャンスクールよりも、ポルノグラフィーのほうがはるかに多くの法的権利と自由を享受しているのです。

 フリードリッヒ二世は、帝国の統治において、イノケンチウス三世の命令に逆らいました。また、彼の実質的な信仰はヒューマニズムでした。それにもかかわらず、彼は著書『リベール・アウグスタリス』の中で、中世思想に基づいて、国家のキリスト教的基盤を確立しました。『リベール・アウグスタリス』の序文において、人間の堕落した状態について触れた後で次のように述べました。


   それゆえ、諸国民の君子たちは、止むに止まれぬ必要から、いや、それ以上に神の霊感によって、犯罪抑止の任務を遂行するために立てられたのだ。人類のために立てられたこれらの生死を決する審判者たちは、神の摂理による処刑者として、各人がどのようにして財産や富や地位を持つべきかを決定することができる。キリスト教の母なる聖い教会が、信仰を誹謗する者たちによる秘密の背信的行為によって汚されることのないように、王の中の王、君子の中の君子であられる御方は、彼らに管理の責任を委ね給うた。それゆえ彼は、先ず第一に、彼らがその責務を落ち度なく行ったかどうかを報告するよう彼らに要求し給う。彼らは、その剣の権威を用いて、教会をその公然たる敵の攻撃から守るべきである。そして、可能な限り平和を保ち、人々に平和が訪れた後で、正義を維持すべきである。平和と正義は、二人の姉妹のように抱き合うのである。4


 これは古くからある命題(old thesis)を極めてはっきりと示しています。神は君子として支配し給うゆえ、この世の君子も悪業を抑止し、教会を保護しなければならないのです。ただし、一つ問題が残ります。それは、「一般人と同様に、君子もまた、罪から解放されてはいない」という問題です。これは、明らかにフレデリック二世にも当てはまりました。近代人は、「人々が多く集まれば、多様性が生まれ、その多様性は互いをチェックし合い、バランスを取り合うことができる」という希望を抱いてきました。今日、このような希望は急速に失われつつあります。さらに、もう一つの謬見がこの序文の中に見られます。すなわち、「国家の義務とは、信仰の擁護ではなく、教会の擁護であり、神学の保持ではなく、制度の保持である」という見解です。この誤った忠誠心は、深刻な結果をもたらしました。

 これは何を意味するのでしょうか。国家は神学に関して良心を強制する権利を持っているが、教会は持っていないのでしょうか。もし国家の神学が宣伝されて「いない」ならば、すぐさま国家は別の神学に従うようになるということは明らかです。第一次世界大戦まで、法廷や人々は、アメリカ合衆国はキリスト教国であると考えていました。しかし、公立学校が公然・非公然を問わずヒューマニズムを教えるようになってから(すなわち、第二次世界大戦以降)は、法廷はヒューマニズムによって支配され、キリスト教は追放され始めたのです。これまでキリスト教が完全に追放されたわけではありませんが、趨勢は明らかに「キリスト教は民主主義と相入れないものであり完全に追放すべきだ」との意見に向かって動いています。ジョン・デューイ、ジェームス・ブライアント・コナント等の大勢の人々が、このような方向を指し示してきました。彼らは「純粋なヒューマニズムと完全な民主主義は、キリスト教のように、天国と地獄、救われる人々と滅びる人々、善と悪を分割するような分割主義的信仰と相容れない。」と主張してきました。

 ある点において、国家の神学は教育され「なければなりません」。そうしなければ、国家は滅びてしまいます。実際的な見地から言えば、私たちは国家を通じて聖書的信仰を強制することを期待できません。神学的に言えば、私たちは自分たちが古い見解と戦っていることを知りつつも、ある人々の良心を強制することに躊躇しています。そのような意味から、現在私たちは皆バプテストなのです。明らかに申命記十七章18−20節は、「支配者は神の御言葉によって支配しなければならない」と教えており、私たちはこのことをよく承知しています。しかし、私たちはどのようにすれば彼にそのような政治を行うよう強制することができるかを知らないのです。

 クリスチャンとして、私たちは、強制の正当性を否定「できない」ことに気づいています。政府は強制権を要求します。さらに、箴言二二章6節において、次のようにはっきりと述べられています。「若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。」現代世界はこの分野において二つの極端を見てきました。ある人々は「子供に対しても大人に対してもいかなる強制もすべきではない」と主張しました。彼らは完全に許容的な社会を求めました。今日私たちは、このアナーキーな考え方にかなり影響されています。また、ある人々は、「大多数の人々はいつまでたっても子供なので、全生涯を通じて管理される必要がある」と主張します。これらの二つの極端な意見は、どちらも非聖書的です。許容的社会は、すべての人を神として扱います。各人は自分の好き勝手に振る舞うことが許されます。一方、強制的社会はその市民に対して神のように振る舞うのです。しかし、キリスト教的社会秩序においては、神の律法が支配し「なければなりません」。神おひとりが神とされなければならないのです。生活のどの領域においても、法から離れるならば、何らかの強制と取り組まなければならないのです。私たちは子供のときから、神の被造物として、また、神の似姿として、神の下にある程度の自由を与えられています。私たちは決して人間の造った被造物になることはできないし、かと言って、他の人々「から」自由になることもできないのです。私たちは神の「下において」のみ自由であり、神の民「と共に」自由なのです。なぜならば、私たちは第一のアダムの奴隷的人間性から最後のアダムの新しい自由な人間性に移し変えられているからです。

 あらゆる面で、「教会」による解答は失敗してきました。教会と国家の合同は成功しなかったし、いかに私たちがそれを好んだとしても、教会と国家の分離も失敗に終わったのです。

 恐らく、いかに教会が重要であるとしても、問題の鍵は教会では「ありません」。イスラエルとの契約を調べる時に、律法、預言書、詩篇、箴言においてはっきりと強調されているもう一つの事柄が見えてきます。


   見なさい。私は、私の神、主が私に命じられたとおりに、おきてと定めとをあなたがたに教えた。あなたがたが、はいって行って、所有しようとしているその地の真中で、そのように行うためです。これを守り行いなさい。そうすれば、それは国々の民に、あなたがたの知恵と悟りを示すことになり、これらすべてのおきてを聞く彼らは、「この偉大な国民は、確かに知恵のある、悟りのある民だ。」と言うであろう。

   まことに、私たちの神、主は、私たちが呼ばわるとき、いつも、近くにおられる。このような神を持つ偉大な国民が、どこにあるだろうか。また、きょう、私があなたがたの前に与えようとしている、このみおしえのすべてのように、正しいおきてと定めとを持っている偉大な国民が、いったい、どこにあるだろう。

   ただ、あなたは、ひたすら慎み、用心深くありなさい。あなたが自分の目で見たことを忘れず、一生の間、それらがあなたの心から離れることのないようにしなさい。あなたはそれらを、あなたの子どもや孫たちに知らせなさい。あなたがホレブで、あなたの神、主の前に立った日に、主は私に仰せられた。「民をわたしのもとに集めよ。私は彼らに私のことばを聞かせよう。それによって彼らが地上に生きている日の間、わたしを恐れることを学び、また彼らがその子どもたちに教えることができるように。」(申命記四・5−10)

   聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりです。心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。(申命記六・4−7)


 神は、これらの箇所において、教会を単なる政府に付随する制度として定めていないということは極めて明らかです。神的法秩序に「必要な付随物」として神が要求し給う務めは「教育」です。アブラムスキーによれば、律法が与えられたとき、「レビ人たちは教導の責任をも与えられました。また、契約の箱を背負ったのも彼らでした(申命十・8、三一・9)。5 モーセは、この「レビ人の教育の務め」について次のように述べました。「彼らは、あなたの定めをヤコブに教え、あなたのみおしえをイスラエルに教えます。」(申命三三・10) レビ人たちが聖所から遠くイスラエル全体に散らされたという事実は、聖所での務めよりも教育の務めのほうが重視されていたということを示しています。たしかに、宮における務めは威厳と名誉を伴うものでした。しかし、教育はレビ人の通常の活動だったのです。他のすべての集団と同じように、レビ人たちも時として神に背くことがありましたが、教育の務めによって彼らは益を受けることができました。したがって、ヘゼキアの時代に、彼らは次のように言われています。「レビ人は、祭司たちよりも直ぐな心を持って、身を聖別したからです。」(第二歴代二九・34)

 このレビ人の教育の務めがいかに重要なものであったかは、十分の一の献げ物に関する律法の規定から明らかです。民数記十八章21−28節によれば、最初の十一税はレビ人に支払われ、レビ人はその内の十分の一を祭司に支払いました。残った十分の九の内から宮における音楽活動や、レビ人が行う宮の務めのための費用が支払われました。しかし、この十分の九の大部分は明らかに礼拝にではなく、教育費に充てられたのです。すなわち、「あなたの定めをヤコブに教え、あなたのみおしえをイスラエルに教える」(申命三三・10)ために全地に散らされたすべてのレビ人を養うために遣われたのです。

 さらに、旧約の時代において、卓越したヘブライの学校やシナゴーグは、どちらもレビ人の務めから発展したものであり、それは、新約における教会の形成と似通っています。東方儀式教会とローマ教会は、礼拝に対して祭司的な、また神殿的な接近法を継承しました。それゆえ、その聖体拝受は旧犠牲制度と類似しています。しかし、プロテスタンティズムの幾つかの、もしくは、そのほとんどの面はシナゴーグの教育の働きから出ているのです。これゆえ、プロテスタントの強調は本質的に教育に置かれなければならならないのです。そして、教育は真の礼拝への前提とならねばなりません。

 真の礼拝は、レビ的相続として、単なる信仰にだけではなく、神のみ言葉の真の知識にも根差していなければなりません。これゆえ、外国の言葉で喋ることは、もしその言葉を理解することのできる人々がその場にいなかったり、説き明かす人がいない場合には、無意味であるとされたのです(第一コリント十四・1−28)。知識は礼拝の基本です。

 このことは、教会の価値の低下を意味しません。聖書によれば、教会はキリストの花嫁であり、体であり、家族であり、それ以上のものです。しかし、教会は、かつて考えられていたように、再生者・非再生者を問わず国のすべての人々を含むという意味で普遍的なものではありえません。クリスチャンスクールはこの意味で普遍的となることが可能なのです。クリスチャンスクールはあらゆる子どもたちを教えることができます。合衆国におけるアイルランド人の大多数は、プロテスタントであって、カトリックではありません。それは、彼らが大量に入植した初期においてクリスチャンスクールが大きな働きをした結果なのです。これは他の民族についても言えることです。合衆国のカトリック教区学校は、プロテスタントのクリスチャンスクールと公立学校に対抗するために始められました。

 申命記は、「神が定め給うた市民的義務の基礎は教育であり、教育がなければ、社会秩序はすぐにも崩壊する」ことを、十分に明らかにしています。モーセに法を与え給うた時、神はモーセに「彼らを教えよ」(出エジプト二四・12。参照レビ十・11)とお命じになりました。

 これらのことから、クリスチャンスクールを建設して、主の御言葉を契約の子供に教え、キリスト教的前提にしたがって人生と思考のあらゆる領域を研究するように命じられているということは明らかです。また、「あらゆる国民を教える」(マタイ二八・19)ことも私たちの義務なのです。大宣教命令は教えることと、バプテスマを授けることを命じています。それは礼拝だけではなく教育をも命じており、教会だけではなく学校を建設することをも命じているのです。「教え」は、「バプテスマを授け」より前に述べられています。神的な政府や信仰的教会を作ることは、ただ教育によって可能になるのです。

 一八三四年から一八七〇年にかけて、わが国のクリスチャンスクールは、ある人々のキリスト教的教育に対する敵意によって破壊されてしまいました。その人々とは、第一に、ユニテリアンと社会主義者たち、第二に、アルミニアンのリバイバリストたちでした。リバイバリストたちは次のように主張しました。「クリスチャンスクールは、『心の』知識ではなく、むしろ、『頭の』知識を与えてきた。そのカルヴァン主義は、若者からリバイバル的経験(「痙攣」、昏倒など)を奪ってきた」と。この二重の攻撃によってもたらされた悲劇的な結果を今日私たちは眼の前に見ています。カトリックからバプテストやアルミニアンリバイバリストに至るまで、教会の解答は失敗してきました。聖書は、教会の礼拝や諸国民の弟子化よりも教育を優先させています。未来の偉大なる宣教命令は、クリスチャンスクールとキリスト教的制度の建設において成就します。これは「カルケドン」[著者の主催する宣教団体]の任務の一部です。今後、これはあらゆるクリスチャンの努力と彼らの十一献金が捧げられるべき中心的領域とならねばなりません。イザヤを通して述べられた神の御言葉は次のようなものでした。「主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからです。」(イザヤ十一・9)この神は、私たちを用いて、もしくは、私たちぬきで、このことを成し遂げ給う。神のご目的の一部とはなっていない人々は、神の道に無関心であることがどのような結果を生み出すか承知すべきなのです。  国家はキリスト教的神学を持たなければなりません。キリスト教的教育はこれを提供する最善の方法なのです。




1. Robert M. Kingdon: Geneva and the Consolidation of the French Protestant Movement 1565-1572, p. 49. Geneva: Libraire Droz, 1967.

2. Tertullian, メAd Scapulam,モ IV, 2, in Ante-Nicene Christian Library, vol. XI, p. 46f. Edinburgh: T & T. Clark, 1872.

3. Lactantius, メThe Divine Institutes,モ V, xx, in Ante-Nicene Christian Library, vol. XXI, p. 340.

4. James M. Powell, trans., ed. The Liber Augustalis, or Constitutions of Melfi Promulgated by the Emperor Frederick II for the Kingdom of Sicily in 1231, p. 4. Syracuse, New York: Syracuse University Press, 1971.

5. Samuel Abramsky, メLevi,モ in Encyclopaedia Judaica, vol. 11, p. 73. New York: Macmillan, 1971.


This article was translated by the permission of Chalcedon. 



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